旧日本軍には空軍が存在せず、陸軍と海軍がそれぞれ航空隊を運用していました。

海軍航空隊と言えばゼロ戦こと零式艦上戦闘機が有名ですが、他にもたくさんの戦闘機が存在します。


その中には実戦配備されることなく使命を終えた戦闘機も存在しました。

今回はドイツ生まれの戦闘機・仮称H式艦上戦闘機(かしょう エイチしきかんじょうせんとうき)を紹介。

果たしてどのような運命をたどったのでしょうか。

■ドイツ・ハインケル社へ開発委託

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旧式化しつつあった一〇式艦上戦闘機。写真には「十年式艦上戦闘機」とある(画像:Wikipedia)

時は大正15年(1926年。昭和元年)4月、海軍は三菱航空機・中島飛行機・愛知航空機(当時は愛知時計電機の航空機部)の三社に対して新型戦闘機の試作開発を発令(注文ではなく命令)しました。

当時配備されていた一○式艦上戦闘機(ひとまるしき~。大正10・1921年配備のためそう呼ばれた)が陳腐化しつつあったので、後継機を出したかったのです。

命令を受けた愛知航空機では、当時技術提携していたドイツのハインケル(Heinkel)社に開発を委託しました。

「今回は不時着水時の浮揚能力を重視したいとの意向だ」

機関部の故障などによって不時着水した際、機体が水没してしまっては、せっかく助かった生命も失われてしまいます。

限りある搭乗員が損なわれないよう、機体が浮くことを求められたのです。

「分かりました」

ハインケル社ではさっそく試作機の制作にとりかかり、翌昭和2年(1927年)に完成・2機が日本へ輸入されました。


名前は「HD-23」。日本ではハインケル社の頭文字をとってH式艦上戦闘機と仮称されます。

■浮揚能力を重視しすぎた結果

空飛ぶ勇姿を見たかった…幻の日本海軍機・仮称H式艦上戦闘機はいかに開発されたのか【日本航空史】


仮称H式艦上戦闘機(画像:Wikipedia)

「しかし、これは……」

仮称H式艦上戦闘機を見た愛知航空機の人々は、いささか面食らったようです。

なんと言うか、子持ちシシャモのようにずんぐりむっくりした機体は、確かに水に浮きそうではありました。

しかし艦上戦闘機ですから、機体重量や運動性能についても疎かにはできません。

試しに飛ばしてみると、やはりノーズヘビー、つまり前部が重すぎて取り回しが難しい状態でした。何なら全体的に重いから動きも鈍めです。

「いやいや、こんなんじゃ飛び立つなり撃ち落とされちまうよ。何とかならんか」

「この状態からですか?一からやり直せって言うならともかく……」

「せっかく作ってもらったのだから、全否定ってのも失礼だろう。そもそも一からやり直すほどの予算も日程もないのだ」

それではまぁやってみましょう。でもあまり期待しないでくださいよ?……と言ったかどうか、愛知航空機の三木鉄夫(みき てつお)技師はH式艦上戦闘機の改良に着手しました。

が、やはり元の形状が形状なので、大した改善を見ないまま納入することになります。


まぁ案の定と申しましょうか、結局H式艦上戦闘機は不採用となってしまったのでした。

■採用されたのは中島飛行機の三式艦上戦闘機(G型艦上戦闘機)

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採用された三式艦上戦闘機(画像:Wikipedia)

ちなみに三菱航空機が試作した鷹型試作艦上戦闘機(たかがた~)も不採用となります。

最終的には中島飛行機のG式艦上戦闘機(ジーしき~)が採用、三式艦上戦闘機(さんしき~)として実践配備されたのです。

この三式艦上戦闘機は機体の浮揚能力を最小限に抑えることで軽量化を図ったものでした。

要するに愛知航空機と三菱航空機は浮揚能力というポイントを重視し過ぎたことが仇になったようです。

「100 点を目指そうとするから、そういうことになるんだよ。当局が要求している水準のギリギリ、試験で言えば合格点ギリギリの70点くらいを狙うのがちょうどいいのさ」

とは多分言ってないでしょうが、海軍当局だって、限られた予算の中でオーバースペックな機体など求めてはいませんでした。

ましてそのスペックゆえに肝心な戦闘能力が低下しては、元も子もありません。

中島飛行機はその辺の感覚やノウハウを持っていたようで、めでたく採用されたのでした。

現代にも通じそうな教訓ですね。

■仮称H式艦上戦闘機・基本データ

  • 完成:昭和2年(1927年)
  • 開発:愛知時計電機航空機部(後の愛知航空機)
  • 製造:ドイツ・ハインケル社
  • 機種:艦上戦闘機
  • 機数:2機
  • 所属:大日本帝国海軍
  • 実績:不採用(不就役)
主要諸元
  • 乗員:1名
  • 全長:7.64 m
  • 全幅:10.80 m
  • 全高:3.40 m
  • 主翼面積:35.32 m2
  • 自重:1,275 kg
  • 全備重量:1,830 kg
  • 形状:複葉機
  • 材質:木製骨組+帆布・合板張り
  • エンジン:三菱 イスパノ・スイザ 水冷V型12気筒(最大560 hp) × 1
    ※もう一機はBMW-6a(最大700 hp)エンジンを搭載
  • 最大速度:250 km/h
  • 巡航速度:167 km/h
  • 実用上昇限度:6,250 m
  • 航続距離:1,233 km
  • 武装:
    ・7.7mm固定機銃 × 2
    ・30kg爆弾 × 2
■終わりに

空飛ぶ勇姿を見たかった…幻の日本海軍機・仮称H式艦上戦闘機はいかに開発されたのか【日本航空史】


三菱航空機が開発した鷹型試作艦上戦闘機。不採用ではあったが、日本人が開発設計した初の艦上戦闘機である(画像:Wikipedia)

今回は幻の海軍機・仮称H式艦上戦闘機について紹介しました。


子持ちシシャモみたいなシルエットが、大空を雄飛する姿を見てみたかったですね。

零戦をはじめとする名機の影には数々の失敗があり、彼らの試行錯誤についてもスポットライトを当てられたらと思います。

参考文献

  • 野沢正『日本航空機総集 愛知・空技廠篇』出版協同社、1959年1月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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