そして、歴史に名を残した方たちも妖怪とは縁があり、しまいには妖怪を退治したことがあるという伝説が今の今まで語り継がれている方もいます。
そういうことで今回は妖怪を退治した伝説がある妖怪バスター3人を紹介したいと思います。
妖怪退治と言えばこの方!
まず1人目は知る人ぞ知る源頼光(みなもとのよりみつ)です。頼光は有名ゲームfateでも登場し人気を博しています(ゲーム上では女性の設定ですが)。

史実での頼光は清和源氏の出身の源氏武者です。後に頼光の一族は父・源満仲が武士団を形成した摂津国を相続したことで「摂津源氏」と呼ばれるようになります。
藤原道長に仕えた頼光は道長の出世につれて、朝家の守護と親しまれ源氏発展の礎を築きました。また、歌人としても知られており、文武両道な人物でした。
そんな頼光が退治した妖怪は酒呑童子(しゅてんどうじ)です。

酒呑童子は京都の人々を神隠しに遭わせ、周囲を恐れさせていました。頼光は一条天皇の命で神隠しの元凶、酒呑童子討伐に向かうことになります。
山伏の格好で酒呑童子の根城に侵入した頼光は酒呑童子の弱点(大の酒好き)を知ります。
そこで八幡台菩薩から与えられた毒酒を振る舞い、酒呑童子が寝たところを隠し持っていた武具でスパッと首をはねました。持ち帰った首は平等院の宝蔵に納められたそうです。
源氏だったのに平家に味方した彼も妖怪退治に!
2人目は源頼政(みなもとのよりまさ)です。実は頼政は先ほど取り挙げた頼光と玄孫の関係で摂津源氏の源氏武者ということになります。

頼政は天皇家や源氏や平家が競い合った平安末期に活躍した源氏武者です。
保元の乱では後白河天皇側、平治の乱では平清盛側と勝者の側につきました。平家の時代では源氏の長老として清盛政権では重宝され、従三位に任命されます。
これは当時の源氏では特別なことでありました。このことから頼政は源三位と呼ばれていました。
晩年には公卿になりますが、平家の暴走に耐えかねて以仁王(後白河天皇の皇子)と平家打倒の兵を挙げます。
しかし、平家の追い打ちを受けしまい失意のまま自害してしまいました。
そんな頼政が退治した妖怪は鵺(ぬえ)です。

鵺は猿の顔、狸の胴体、虎の手足、尾が蛇とキマイラと同じようなイメージを彷彿させます。この妖怪により二条天皇は毎晩苦しめられ、病の身となってしまいました。
弓の名手であった頼政は頼光より受け継いだ弓である雷上動を使い、鵺を射ました。不気味な鳴き声を上げて落ちてきた鵺を頼政の郎党が止めをさしました。
これにより二条天皇の体調は良くなり、頼政は鵺退治の功績により、「獅子王」という名の刀を貰いました。
ちなみに獅子王は現在、東京国立博物館で見ることができますので、頼政に興味を持っていただけたのならば、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。
俵藤太の名は伊達じゃない!
3人目は藤原秀郷(ふじわらのひでさと)です。俵藤太(たわらのとうた)の名でも知られており、本名よりこちらの方が知っている方が多いかもしれません。

かなりの乱暴者で追討令が出ていたくらいの秀郷が歴史に名を残す契機となったのは平将門の乱でした
秀郷は平貞盛らと協力して将門の本拠地を平定した後に宇都宮大明神から授かった霊剣で将門を討ち取りました。
将門を討った功績により従四位下に任命されました。その後は勢力を拡大し武家の棟梁として多くの武士を輩出しました。
ちなみに桜にちなんだ和歌でお馴染みの西行法師は秀郷の子孫にあたります。
そんな秀郷が退治した妖怪は大百足(おおおむかで)です。
近江国瀬田の唐橋を訪れた秀郷はその橋にいた大蛇をものともせず、踏みつけて渡りました。
その夜に美しい娘が秀郷を訪れますが、実はその娘は昼間踏みつけた大蛇であり秀郷に会うために人の姿に変身したのでした。
娘のいる龍神一族が三上山にいる大百足に苦しめられていると伝えると秀郷は大百足退治を引き受けました。
三上山には山を覆い尽くすほどの大百足でおり、秀郷は弓を射ますが、びくともしませんでした。
そこで矢に唾をつけ、八幡神に祈りを込めると矢が大百足に当たり、退治することができました。
その功績により龍神一族から俵を貰います。また、龍神一族のおかげで将門の弱点がわかったので将門を討ち取ることができたとされています。
最後に
妖怪は人に恐怖を与えてしまいますが、有名な人物に退治されることによって妖怪に親しみを持ちやすくなりやすくなるのも事実です。
3人は妖怪をより馴染みやすくしたことに一役買ったかもしれませんね。
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