数多くの武将たちが覇を競い合った戦国時代には、意外なことに木を抜くほどの怪力を持った人物がいました。

そんな驚くような怪力を持った人物は、延沢満延(のべわさ-みつのぶ)。
最上八楯の1角だった武将で、天女が母親だと言われており色々とスケールが大きい人物です。

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しかしながら、名前すら初めて知る方もいるくらい知名度が低い人物でもあります。

そこで今回は、満延の生涯と出生や怪力にまつわるエピソードをご紹介し、延沢満延について知ってもらおうかと思います。

■天女から産まれたとされる

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天女(イメージ)/Wikipediaより

満延は天文13年(1544)に延沢満重のもとで産まれます。満延の出生に関して、母親が実は天女だったとの伝承が残っています。

その伝承によると、立派な子が欲しいと願掛けをした満重は、自身の領内にある古城山の天人清水という池に天女が現れるとのお告げを聞きました。

そして、その内容通りに天女と出会い、満重は天女の羽衣を隠して妻としたことで、満延が誕生したとのことです。

この伝承にはまだ続きがあり、満重の留守中に羽衣を見つけた天女は手紙を残して天へ帰ってしまいます。

その手紙には出会った清水周辺に城を築けば子孫繁栄すると書かれていたので、満重は城を築城。こうしてできた城は延沢城と呼ばれ、なおかつ敵が近づくと城を隠すように霧が立ち込めるから霧山城とも呼ばれるようになったとのことでした。

■鐘を軽々と持ち上げる怪力ぶり

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鐘(イメージ)/Wikipediaより

そのような伝説を持っている満延は、17歳の若い時より怪力として知られており、腕試しとして山形両所宮にある鐘を持ち上げてみてほしいと若侍に言われます。

数多の力自慢が苦戦していた中、満延は軽々と鐘を持ち上げました。


満延の怪力に周囲が唖然とする中、満延は「提灯より軽いじゃないか。これを鶴子まで持って帰る」と言いのけました。

鶴子は山形両所宮より10里(約40km)離れていましたが、難なく持ち帰ったと言います。

この他にも山形県東村山郡中山町にある円同寺の鐘を山形市長谷堂の清源寺に運んだエピソードも残っています。

満延はその鐘を運ぶ際に目が見える穴を鐘に開け、頭に被りながら運びました。

この時に満延が運んだとされる鐘は、現在も清源寺に残されています。

■人間くらいの長さの金棒を振るって活躍

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金棒を持った武士/Wikipediaより

常人とは次元の違う満延の怪力は戦場でも遺憾なく発揮されました。

満延の氏族・延沢氏は最上八楯に属し、たびたび最上義光と戦いました。

ちなみに最上八楯は、最上氏と血縁関係にある天童氏が、村山地方にいる国人領主たちと同盟関係を結び形成された国人連合のことです。

ある時、義光が最上八楯の盟主である天童頼澄の守る天童城に侵攻した際、援軍として戦に参加していた満延は単騎で最上軍に突撃。

手に持っていた5尺1寸(約155cm)の金棒で兵たちをなぎ倒していきました。

満延を止めるべく、最上軍の武士が一騎打ちを仕掛けるも、首が胴までめり込み絶命させるほどの武勇を発揮します。


満延はこれだけでは収まらず、6尺(約180cm)ほどの大男に戦いを挑まれます。

武器の打ち合いでは勝敗が決しなかったので組み合いになったところ、満延は大男を持ち上げて田んぼに投げ飛ばしました。

投げ飛ばされた大男は、杭のように突き刺さったと言います。

■婚姻により最上義光に仕える

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最上義光/Wikipediaより

このような武勇や怪力を目の当たりにした義光は、満延を無力化することが最上八楯を崩す一手と考えます。

そこで義光は、天正12年(1584)に満延の息子である光昌と自身の娘・松尾姫を縁組させました。

この縁組により満延は最上八楯から離脱。最上八楯は満延を失ったことと天童頼澄が守る天童城が落城したことで崩壊し、各々が最上氏に恭順の意を示しました。

その後、満延は義光の家臣となりましたが、天正18年(1590)に義光と共に上洛した際に病に倒れます。

そのまま病は治らず、翌年の天正19年(1591)に京都にて病死しました。

■義光ごと木を持ち上げた満延

義光の家臣時代、満延の怪力がどれほどのものか確かめるために、義光は満延に家中の力自慢たちを差し向けました。

満延は一斉に飛びかかってきた力自慢たちを即座に振り払うと、義光に向かって怒りをあらわにします。

満延の態度に驚いた義光は、逃げた末に桜の木にしがみつきます。
それでも満延は義光を引き離そうとし、ついには桜の木ごと持ち上げてしまいました。

この人間離れの怪力に感心した義光は、満延に褒美を与えたと言われています。

まさに怪力無双と言っても過言ではないくらいに満延は怪力だったことがうかがえますね。

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