着物といえば、数ヶ月前のサントリー美術館で開催されていた「名品迷品」という展覧会で衝撃の発見がありました。
■縞の語源は島⁉
着物の柄としておなじみの縞。江戸時代に町人を中心にブームとなり、多くの階級の人々に親しまれました。縦縞と横縞を組み合わせた格子柄も、一種の縞模様ですね。
で、この縞模様。展覧会の品物の中に、漫画家・楳図かずおさんのトレードマークのような、白地に真っ赤な横縞柄の器がひときわ目を引きました。
それは南蛮貿易で日本にもたらされたポリネシア諸島産の器で、その解説に「縞模様は南方の島々から伝わったため〈島もの〉〈島もよう〉と呼ばれ、そのことから縞模様の語源となった」という旨が書いてありました。
これには驚き。縞模様の“シマ”って“島”のことだったんだ…。
縞柄の着物生地(イメージ)
日本に縞柄の織物が本格的に伝わったのは室町時代だそうです。縞や格子縞に織られているものは当時、「間道(かんとう)」や「甲比丹(かぴたん)」などと呼ばれており、現在でもメジャーな柄が引き継がれています。
舶来の縞織物(名物裂)は、茶の湯の道具入れなどに使われていましたが、衣服にも縞柄が現れ始めるのは安土・桃山時代~江戸時代初期。
縦縞が爆発的に流行るのは江戸中期。国内木綿の流通も後押しとなり、木綿縞は日常着として定着。柄の効果ですらっと細身に見えるので、脚長美人がもてはやされ、浮世絵にもばんばん描かれました。
また、江戸の「粋」にも合致し、男性にも流行ります。細い縞は軽やかで遊び人風、太い縞は力強さを表すなど、表現は∞(無限大)なところも良かったのでしょう。

楊洲周延「東風俗福つくし 呉服」(Wikipediaより)
歌舞伎役者も人気に拍車をかけ、4代目松本幸四郎の「高麗屋格子」や3代目尾上菊五郎の「菊五郎格子」も大流行しました。
■西洋では異端
一方、西洋では長らく異端の象徴だったとのこと!
当時の西洋人は、奥行きのないデザインは恐怖や混乱を招く悪魔的な存在と捉えていたため、乞食や、売春婦、道化、罪人など、社会から疎外されやすい人々に課せられたものでした。
古来日本には襲(かさね)など着物を重ね合わせて直線的なラインを出したり、絵も線で輪郭を書く手法でしたので、この縞模様はすんなりと受けいられたのでは?との考察があります。
ルイ・ヴィトンのモノグラムも日本の家紋を模したといわれてしますし、定番の柄が実は異文化発祥ということが実は多いのかもしれませんね。
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