今回は作品を楽しむ参考として、主人公のまひろ(紫式部)たちが生きていた平安時代中期の天皇陛下をまとめました。
まずは紫式部の生没年ですが、これには諸説あるため、今回は最も長生きした説を元にしましょう。
なので紫式部は天禄元年(970年)生~長元4年(1031年)没と仮定します。この期間中の天皇陛下はこちらです。
- 第64代・円融天皇(坂東巳之助)
- 第65代・花山天皇(本郷奏多)
- 第66代・一条天皇(塩野瑛久)
- 第67代・三条天皇(木村達成)
- 第68代・後一条天皇(未登場)
■第64代・円融天皇
生没:天徳3年(959年)3月2日生~正暦2年(991年)2月12日崩御(33歳)
在位:安和2年(969年)~永観2年(984年)
諱(いみな)は守平(もりひら)。第62代・村上天皇の皇子であり、第63代・冷泉天皇の弟でした。
在位中の元号は以下の通りです。
安和(あんな)・天禄(てんろく)・天延(てんえん)・貞元(じょうげん)・天元(てんげん)・永観(えいかん)
甥(冷泉天皇の皇子)に当たる師貞親王(花山天皇)に譲位しました。
■第65代・花山天皇
花山天皇(画像:Wikipedia)
生没:安和元年(968年)10月26日生~寛弘5年(1008年)2月8日崩御(41歳)
在位:永観2年(984年)~寛和2年(986年)
諱は師貞(もろさだ)。若くして皇位を継承し、積極的な政治改革を行います。
しかし藤原兼家・藤原道兼らに騙されて出家(寛和の変)。皇位を従兄弟の懐仁親王(一条天皇)に譲らされます。
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在位中の元号は永観と寛和(かんな)のみでした。
■第66代・一条天皇
一条天皇(画像:Wikipedia)
生没: 天元3年(980年)6月1日生~寛弘8年(1011年)6月22日崩御(32歳)
在位:寛和2年(986年)~寛弘8年(1011年)
諱は懐仁(やすひと)。円融天皇と藤原詮子の一人皇子です。
藤原兼家・藤原道長一家の後ろ盾によって20年以上の皇位を保ちました。ただし詮子や道長との関係が悪かったとの説もあります。
一条天皇の中宮となった藤原彰子に紫式部は女房として仕えました。
崩御の寸前になって従兄弟の居貞親王(三条天皇)へ譲位します。
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在位中の元号は以下の通りです。
寛和・永延(えいえん)・永祚(えいそ)・正暦(しょうりゃく)・長徳(ちょうとく)・長保(ちょうほう)・寛弘(かんこう)
■第67代・三条天皇
三条天皇(画像:Wikipedia)
生没:天延4年(976年)1月3日生~寛仁元年(1017年)5月9日崩御(42歳)
在位:寛弘8年(1011年)~長和5年(1016年)
諱は居貞(いやさだ/おきさだ)。冷泉天皇の皇子で花山天皇の兄弟、一条天皇とは従兄弟に当たります。
藤原道長の姉・藤原超子が産んだ子ですが、叔父からは絶えず譲位の圧力をかけられ続けました。
元から病弱でかつ眼病を患ったことから「我が子・敦明親王を春宮(皇嗣。次々代の天皇陛下)にしてくれるなら」という条件で一条天皇の第2皇子・敦成親王(母は彰子)に譲位します。
しかし崩御後、その約束は反故にされてしまうのでした。
在位中の元号は寛弘・長和(ちょうわ)のみです。
■第68代・後一条天皇
生後間もない敦成親王(画像:Wikipedia)
生没:寛弘5年(1008年)9月11日生~長元9年(1036年)4月17日崩御(29歳)
在位:長和5年(1016年)~長元9年(1036年)
一条天皇の第2皇子で、諱は敦成(あつひら)。自分の血を引く天皇陛下の即位によって、道長は権力の絶頂を極めることとなります。
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月のかの悪名高い望月の歌が詠まれたのもこの時代。その栄華も病魔によって蝕まれていくのですが……。
欠けたることも なしと思へば」
在位中の元号は長和・寛仁(かんにん)・治安(ちあん、じあん)・万寿(まんじゅ)・長元(ちょうげん)となります。
■その後の皇統
「光る君へ」関連 皇統系図
後一条天皇の次代は敦明親王の予定でしたが、三条天皇の崩御後に無理やり辞退させられてしまいました。
※これが原因で荒れたとも、元から荒れていたために辞退させられたとも言います。
これまで数代にわたり交互に即位していた冷泉天皇系⇔円融天皇系の流れが崩れ、皇統は円融天皇系に乗っ取られていきました。
後一条天皇の後は弟の敦良親王(第69代・後朱雀天皇)が即位。その後も後朱雀天皇の皇子たち(後冷泉天皇、後三条天皇)が皇位を継承したのです。
■紫式部が生きた時代の皇統まとめ
(第62代・村上天皇)
(第63代・冷泉天皇)
第64代・円融天皇:安和2年(969年)~永観2年(984年)
第65代・花山天皇:永観2年(984年)~寛和2年(986年)
第66代・一条天皇:寛和2年(986年)~寛弘8年(1011年)
第67代・三条天皇:寛弘8年(1011年)~長和5年(1016年)
第68代・後一条天皇:長和5年(1016年)~長元9年(1036年)
(第69代・後朱雀天皇)
(第70代・後冷泉天皇)
(第71代・後三条天皇)
※カッコは前史・後史
■紫式部が生きた時代の元号まとめ
- 安和(あんな):968~970年
- 天禄(てんろく):970~974年
- 天延(てんえん):974~976年
- 貞元(じょうげん):976~978年
- 天元(てんげん):978~983年
- 永観(えいかん):983~985年
- 寛和(かんな):985~987年
- 永延(えいえん):987~989年
- 永祚(えいそ):989~990年
- 正暦(しょうりゃく):990~995年
- 長徳(ちょうとく):995~999年
- 長保(ちょうほう):999~1004年
- 寛弘(かんこう):1004~1012年
- 長和(ちょうわ):1012~1017年
- 寛仁(かんにん):1017~1021年
- 治安(ちあん、じあん):1021~1024年
- 万寿(まんじゅ):1024~1028年/万寿4年(1027年)に藤原道長没。
- 長元(ちょうげん):1028~1037年
今回は皇統から紫式部の生きた時代をたどってみました。
道長が苦労して天皇陛下の外戚となり、権力の絶頂を極めたのも束の間。やがて道長が世を去ると、望月は静かに欠けて行きます。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、まひろ(紫式部)がどこまで生きるのか、見届けていきましょう!
※参考文献:
- 笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』中公新書、2021年3月
- 倉本一宏『人物叢書 236 一条天皇』吉川弘文館、2003年12月
- 倉本一宏『ミネルヴァ日本評伝選 三条天皇 心にもあらでうき世に長らへば』ミネルヴァ書房、2010年7月
- 高森明勅『歴代天皇事典』PHP文庫、2006年10月
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