夏といえば盆踊り。この日本に欠かせない行事である盆踊りが、なんと禁止されていた時期があったのですが、ご存知ですか?

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歌川広重「古代踊尽し 盆のおどり」

風紀が乱れるという理由で、明治7年頃、各地で禁令が発布されました。


これは日本政府が西洋化を進めるにあたり、盆踊りが「野蛮ではないか」「下品ではないか」という考えをもっていたからで、大相撲がなくなりかけたのと同じ考えですね。

●禁止された県と時期
盆踊り禁止の布達(岐阜県) 明治七年 1873 盆踊りの禁止
盆踊り禁止の布達(奈良県) 明治七年 1873 盆踊りの禁止
盆踊り禁止の布達(愛媛県) 明治十年 1876 盆踊りの自粛勧告
盆踊り禁止の布達(愛媛県) 明治十四年 1880 盆踊りの禁止

当時の盆踊りは現代よりも仮装の趣向が強く、男性が女装したり、その逆で女性が男装したり、ボロをきたり、貴族の装いをしたり、奇抜な格好で皆の目をひこうと競い合う風潮がありました。

夏の国民的な風物詩「盆踊り」、実は江戸時代は規制が厳しく明治期はなんと禁止令まで発動されていた!


難波鑑 [2]一無軒道冶/延宝8 [1680](国立国会図書館より)

 

また、田舎では男女が一夜の契りを結んで果ては子を宿すということもあったため、明治以前よりも強く、警察により取り締まられることになりました。

この時代は何事も西洋がよいといって、カルタはだめでトランプはよい、とか、盆踊りはだめで舞踏会はよいとされていましたが、もちろん庶民にとってそんなおかしな道理が通じるわけもなく、警察側も黙認することも多かったようです。

では現代に通じる盆踊りが確立されたといわれる江戸時代はどうだったのでしょう。

なんでもありというわけではなく、お触書を確認すると

慶安2年(1649)おとり可申候、但喧嘩口論無之様ニ…..(踊りはよいが喧嘩口論はだめ)
延宝5年(1677)干、今おとり有之由ニ候、もはや時分も不相応の節に候間……(時節をすぎて踊らないこと)
貞享2年(1685)頃日町方にて寄合おとり候由相聞候、子とも之盆おどりなとは格別、其外町人寄合道辻にて往還をさまたけ….「子供の盆踊りは別として、町で踊るのは通行を妨げるので禁止)
元禄3年(1690)辻相撲辻おとり堅可停止「往来での相撲と踊りは禁止」
明暦3年(1657)20人の町横目が盆中の踊りを取締
寛文11年(1671)盆踊りは7月14日から16日までの3日間に限る
貞享2年(1685) 見物人は整然と見物することを命じるなど

まじかい!けっこう締め付けられているな…盆踊り。
長い歴史、風紀の乱れを危惧するお上と、それでも踊る楽しみを奪われたくない庶民とのたたかいが繰り広げられていた様子。

夏の国民的な風物詩「盆踊り」、実は江戸時代は規制が厳しく明治期はなんと禁止令まで発動されていた!


明治期に締め付けられた盆踊りですが、大正時代になると復興していきます。
昭和初期になるとレコードやラジオの開始などもあり、新しい民謡「新民謡」が大流行り。
あの定番曲「東京音頭」の大流行につながります。
東京音頭の元歌は、昭和7年に作成された「丸の内音頭」。昭和8年歌詞を一部変えて東京音頭と改作されて爆発的ヒットとなります。

なんと日比谷公園での東京音頭の祭りでは浴衣を切符代わりに開催されたことも。
最近も騒音対策でサイレント盆踊りなどがありますが、一年に一回ぐらいは気持ちよく踊りたいものですね。

参考:永井荷風 『墨東綺譚』、盆踊りの世界

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