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しかし、実はこの「北条早雲」という名前についても、意外と知られていない事実があったんです。そこで、今回の記事では、そんな北条早雲に関するおもしろいトリビアをいくつかご紹介していきたいと思います。
北条早雲、知れば知るほどおもしろい人物です。
■「北条早雲」という名前は死後に付けられた

北条早雲の肖像(Wikipediaより)
いきなりですが、「北条早雲」という名前は彼の死後に付けられた名前です。出家する前には「伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)」、出家した後は「早雲庵宗瑞(そううんあんそうずい)」という名前でした。
「北条」という姓を名乗り始めたのは二代目の氏綱のときから。「伊勢」は西日本の地名で東日本の人々には馴染みがない一方で、伊豆・韮山には「北条」という地名があったため、浸透しやすいと思ったことが理由だと言われています。
■一気に小田原城を奪う
大器晩成の北条早雲。60代という年齢においても、関東の重要な拠点を制覇しようとしていました。伊豆国を奪った彼が次にターゲットにしたのが小田原城。
少し前になくなった当主の跡を継いだ大森藤頼(ふじより)に贈り物をして友好関係を築きます。その段階で、藤頼に対し、「鹿狩りのために城の裏山に勢子(せこ:獲物を追い立てる係)を入れさせてほしい」と言います。藤頼はそれを許可。
兵士を勢子に見立てて、1000頭の牛とともに城へ走らせました。敵が来たと勘違いした藤頼はあわてて逃亡。早雲は一気に小田原城を手に入れてしまったのです。
■領民の生活を思いやる
これらのエピソードからは狡猾な人物像が浮かんできそうですが、早雲にはもちろんほかの一面もあります。
それは、重い税制を廃止し、「四公六民(年貢の4割を領主に納め、6割を農民のものにする)」の制度を作っています。
■倹約家、そして教養人
早雲は倹約も大切にしました。たとえば、掃除をする際にも、まずは掃除が必要なところをしっかりと調べさせてから水を用意。また、読書の重要性も説いており、常に書物を懐に入れておき、空いた時間があれば読書に励むようすすめています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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