いかにいかが かぞへやるべき 八千歳の
あまり久しき 君が御代をば

※『紫式部日記』寛弘5年(1008年)11月1日条

【意訳】この嬉しい五十日(いか)のお祝いに、いかが数えたらよいのでしょう。若宮様(敦成親王)の永遠なる生命の年数を……。


敦成親王(あつひら。のち後一条天皇)の生後50日を祝う五十日儀(いかのぎ)。そこで詠まれた藤式部の和歌は、どのように生まれたのでしょうか。

今回は『紫式部日記』より、紫式部と藤原道長のやりとりを紹介したいと思います。

五十日儀の場面が描かれた第36回放送(9月22日)の振り返り記事も公開していますので、あわせてご覧ください。

「光る君へ」藤原道長よ…妻の実家で元カノと何やってんの!第36回放送(9月22日)振り返り
【光る君へ】五十日の儀で源倫子が退席した本当の理由は?藤式部...の画像はこちら >>


■道長に捕まった二人

【光る君へ】五十日の儀で源倫子が退席した本当の理由は?藤式部が「いかにいかが…」と詠んだ場面を振り返る


五十日の儀における乱痴気騒ぎ。『紫式部日記絵巻』より

……恐ろしかるべき夜の御酔ひなめりと見て、事果つるままに、宰相の君に言ひ合はせて、隠れなむとするに、東面に殿の君達、宰相中将など入りて、騒がしければ、二人御帳の後ろにゐ隠れたるを、取り払はせたまひて、二人ながら捉へ据ゑさせたまへり。……

※『紫式部日記』寛弘5年(1008年)11月1日条

【意訳】宴もたけなわ、皆さん酔っ払って乱痴気騒ぎを繰り広げるので、私(紫式部)は恐ろしくてならなかった。

近くに宰相の君(藤原豊子)がいたので、一緒に几帳の後ろへ隠れようとする。

しかしそこへ道長や宰相中将らがやって来て、几帳を取り払ってしまう。

もう逃げられない。私と宰相の君は引き戻されて、道長のそばに座らされた。


■「和歌を詠めば許してやろう」

【光る君へ】五十日の儀で源倫子が退席した本当の理由は?藤式部が「いかにいかが…」と詠んだ場面を振り返る


和歌を強要された藤式部。宰相の君は免除されたのだろうか(イメージ)

……「和歌一つ仕うまつれ。さらば許さむ」と、のたまはす。いとわびしく恐ろしければ聞こゆ。

いかにいかが かぞへやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば

「あはれ、仕うまつれるかな」と、二たびばかり誦ぜさせたまひて、いと疾うのたまはせたる、

あしたづの 齢しあらば 君が代の千歳の数も かぞへとりてむ

さばかり酔ひたまへる御心地にも、おぼしけることのさまなれば、いとあはれにことわりなり。……

※『紫式部日記』寛弘5年(1008年)11月1日条

【意訳】道長は「和歌を一首詠め。出来次第では許してやろう」と言ってくる。
恐ろしくて仕方ないが、詠まない訳にはいかない。

「いかにいかが……」

これを聞いた道長は、お気に召したのか二度ほど私の和歌を繰り返し口にした。

「よい歌だ。されば私も」道長はすぐに返歌を詠む。

あしたづの 齢しあらば 君が代の千歳の数も かぞへとりてむ
(私に鶴の如く千年の寿命があれば、若宮様と共に長生きできるのになぁ)

日ごろから本当にそう思っているからこそ、酔っ払っていてもすぐに詠めるのだと感心させられた。


■道長の自画自賛

【光る君へ】五十日の儀で源倫子が退席した本当の理由は?藤式部が「いかにいかが…」と詠んだ場面を振り返る


藤原道長。『紫式部日記絵巻』より

……げにかくもてはやしきこえたまふにこそは、よろづのかざりもまさらせたまふめれ。千代もあくまじき御ゆくすゑの、数ならぬ心地にだに思ひ続けらる。

「宮の御前、聞こしめすや。仕うまつれり」と、われぼめしたまひて、

「宮の御父にてまろ悪ろからず、まろがむすめにて宮悪ろくおはしまさず。母もまた幸ひありと思ひて、笑ひたまふめり。良い夫は持たりかし、と思ひたんめり」

と、たはぶれきこえたまふも、こよなき御酔ひのまぎれなりと見ゆ。……

※『紫式部日記』寛弘5年(1008年)11月1日条

【意訳】若宮の誕生を心から喜んでいる道長は、今後あらゆる栄光を手にすることであろう。千年の寿命があっても足りそうにない栄華は、私のような取るに足らぬ者にも恩恵を感じさせずにはいられない。

「中宮陛下。今の和歌を聞かれましたか。とても上手く詠めましたぞ」と道長は自画自賛。
調子に乗ってこうも言った。

「私は中宮陛下の父として悪くないと思います。中宮陛下も、私の娘として悪くありません。母上(道長正室・源倫子)にしても、こんなによい夫を持って幸運だったとお思いでしょう」

よほど酔っていたのであろう。いつも以上の放言であった。

■機嫌を損ねる倫子、追う道長

……さることもなければ、騒がしき心地はしながらめでたくのみ聞きゐさせたまふ。殿の上、聞きにくしとおぼすにや、渡らせたまひぬるけしきなれば、
「送りせずとて、母恨みたまはむものぞ」とて、急ぎて御帳の内を通らせたまふ。

「宮なめしとおぼすらむ。親のあればこそ子もかしこけれ」と、うちつぶやきたまふを、人びと笑ひきこゆ。……

※『紫式部日記』寛弘5年(1008年)11月1日条

【意訳】道長の放言を聞いた倫子もまた、酔っていたのだろう。普段ならば苦笑まじりに聞き流したであろうに、道長の放言に機嫌を損ねて退出してしまった。

その様子にまずいと思ってか、道長は「母上のお見送りをしないと、後で叱られてしまうからな」と倫子の後を追った。
去り際に道長は、彰子に言う。

「みっともないと思ってくれるな。こんな父でも、いなければそなたは存在しえなかったのだから」

この言い訳を聞いて、人々はどっと笑い声を上げたのであった。

■倫子が機嫌を損ねた理由は?

【光る君へ】五十日の儀で源倫子が退席した本当の理由は?藤式部が「いかにいかが…」と詠んだ場面を振り返る


紫式部(左上)を訪ねる藤原道長。『紫式部日記絵巻(旧久松家本)』より

紫式部が「いかにいかが……」と詠み、道長が「あしたづの……」と返歌したやりとりは、このようなものでした。

倫子が機嫌を損ねた理由は道長と紫式部の密通を覚ったからというより、道長が正室である自分を下げたからではないでしょうか。

あなた(道長)のお陰で今日の栄華を誇っているのではなく、私(倫子)に婿入りしたからこそ、今日のあなたがあることを忘れるな。

陰に陽に道長を支えてきた良妻賢母の矜持が垣間見える一幕でした。

仮に道長が紫式部と密通していようが、自分の立場は微動だにしない。そんな誇りと自信が垣間見えます。

それを解っていたからこそ、宴席の人々も道長の醜態を笑う余裕があったのでしょうね。

■終わりに

今回は『紫式部日記』より、五十日儀の一幕を紹介しました。


他にもやんごとなき貴族たちが酔っ払って乱痴気騒ぎを繰り広げていますが、また改めて紹介したいと思います。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、まひろと道長はどのような関係を築いていくのでしょうか。

これからも、見守っていきたいと思います。

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