しかし、今回紹介する荒木村重(あらきむらしげ)という男ほど最低の裏切りを行った人物は少ないのではないでしょうか。
一体何をしでかしたのか、詳しく紹介します。
■主君への裏切り
太平記英雄伝 廿七 荒儀摂津守村重 画:歌川国芳 (Wikipediaより)
荒木村重は、摂津国城主・池田勝正に支える家臣でした。
しかし、勝正の娘を娶って一族入りを果たしたあと、勝正の兄・知正と共謀して勝正を追放。
当主に君臨した知正も引きずり下ろして、池田家を乗っ取ってしまいます。
当時の裏切り行為は日常的に行われるもので、俗に「下剋上」とよばるものです。
下っ端から這い上がった荒木は、まさに戦国時代を代表する下剋上の申し子といっても過言ではありません。
■信長との出会い
池田家を支配した荒木は、後に織田信長と出会います。
二人が初対面したとき、織田信長は饅頭を剣先に突き刺してみせました。
これに対して荒木は躊躇うことなく饅頭を口に頬張ったという有名なエピソードがあります。
このエピソードがキッカケで、信長に気に入られた新木は、摂津国37万石と有岡城の守護を命じらました。
十分な出世を遂げた荒木ですが、織田家の庇護下で甘い蜜の味を知った彼は信長の権力すらも欲するようになるのです。
そして、事件は起きます。
1577年、荒木は天下統一を目前にした信長に謀反を企てたのです。
■家臣と領民への裏切り
謀反を企てた荒木に対し、彼を信頼していた信長は何度も使者を送って説得を試みまています。
しかし、旧知の仲であった黒田官兵衛が使者として訪れた際、荒木は説得を跳ね返すばかりか黒田を監禁・幽閉して有岡城に籠城してしまうのです。
痺れを切らした信長も有岡城への出陣を決行。
有岡城に籠城する荒木でしたが、家臣の寝返りが続出したこともあり、絶望的な戦況へと追い込まれてしまいます。
命の危険を感じた荒木は我が身可愛さに、一族郎党見捨てて自分一人で尼崎城へと逃げ延びたのです。
信長は、荒木の家臣や親族に彼に投降するよう説得を命じましたが、荒木が降伏を宣言することはありませんでした。
激怒した信長は、荒木の一族郎党36名・女房衆122名・無数の領民までも大量虐殺してしまいます。
領民や親族は彼の裏切りに酷い憎悪を抱いたことでしょう。
そんな彼は晩年を名の通った茶人として過ごしており、茶聖の千利休と交流深めています。
千利休との交流から豊臣秀吉の一派となりますが、秀吉への悪口がバレてしまい、名前を変えて失踪。
無数の人の信頼を裏切り、権力を欲した彼の手には結局何も残りませんでした。
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