紫式部の兄弟姉妹には、藤原為時長女(実名不詳)・藤原惟規・藤原為時三女(実名不詳)が知られています(紫式部は次女)。

ほか異母兄弟姉妹がいますが、今回は割愛しましょう。


※あわせて読みたい:

大河ドラマ「光る君へ」では割愛…幼い頃から母親代わりだった紫式部(まひろ)の姉とは?
【光る君へ】美的センスはいまいち?紫式部の義弟・藤原信経とは...の画像はこちら >>


実はかなり高い教養があった紫式部の弟・藤原惟規。詠んだ和歌に見える彼の才能【光る君へ】
【光る君へ】美的センスはいまいち?紫式部の義弟・藤原信経とはどんな人物だったのか?


長女は為時が越前へ赴任する前に亡くなっていますが、三女は藤原信経(のぶつね、さねつね)と結婚しました。

今回はこの藤原信経について、その生涯をたどってみたいと思います。果たして紫式部の義弟は、どんな人物だったのでしょうか。

■有能多才だけど、美的センスはいまいち?

藤原信経は安和2年(969年)、藤原為長(ためなが)の子として誕生しました。母親については詳しく分かっていません。

兄弟には嫡男の藤原通経(みちつね)はじめ、藤原公経(きんつね)・藤原頼経(よりつね)らがいます。

なお信経の祖父・藤原雅正(まさただ)は藤原為時の父でもあり、紫式部らはいとこ同士でした。

【藤原信経・略系図】
藤原雅正―藤原為長―藤原信経
藤原雅正―藤原為時―紫式部ら

長徳元年(995年)に六位蔵人(ろくいのくろうど)として一条天皇に仕え、また右兵衛尉(うひょうゑのじょう)・兵部丞(ひょうぶのじょう)・式部丞(しきぶのじょう)を兼任しています。

【光る君へ】美的センスはいまいち?紫式部の義弟・藤原信経とはどんな人物だったのか?


激務に追われる信経たち(イメージ)

  • 六位蔵人:天皇陛下の側近。身の回りの雑務を行うため、六位だけど内裏に昇殿できる特権を持つ人気ポジション。
  • 右兵衛尉:宮中を護衛する(左右)兵衛府の三等官(じょう)。
  • 兵部丞:全国の武官を管理する兵部省の三等官(じょう)。
  • 式部丞:官僚の人事や教育などを管轄する式部省の三等官(じょう)。
六位蔵人の激務を通して高い実務能力を評価されたのでしょう。

現場を担う中間管理職として、各部署で引っ張りだこの人気だったようです。

しかしデザインセンスはいまいちだったようで、内裏の家具や調度品などを制作する作物所(つくもどころ)の別当(べっとう。長官)を務めた時は、清少納言からボロッカスに貶されてしまいました。

「あなた何なの、この図面は?もしこのまま家具を作ったら、ダサ過ぎてとても使えたものではないわ!中宮陛下の品位をも損ねることになってしまうの。やり直し!」

……とまでは言われてないでしょうが、こんなやりとりも清少納言の随筆『枕草子』に残されています。

長徳4年(998年)に従五位下となり、河内権守(かわちごんのかみ。員数外の国司長官、名誉職)に任じられました。

寛弘6年(1009年)ごろ越後守(えちごのかみ)に任じられ、翌寛弘7年(1010年)ごろに藤原為時三女と結婚します。

彼女の子供かは分かりませんが、藤原信経には藤原行宗(ゆきむね)・藤原則経(のりつね)という息子たちがいました。


寛弘8年(1011年)には越後守を辞任し、その後任として舅の為時が今度は越後守になります。

京都に戻った信経は内蔵権頭(くらのごんのかみ)を経て、長和3年(1014年)に再び越後守となりました。

もちろん為時と入れ替わり、この人事は何だか不思議な感じですね。

それ以降、信経の動向はうかがえず、いつ世を去ったのかも不明となっています。

■藤原信経・略年表

【光る君へ】美的センスはいまいち?紫式部の義弟・藤原信経とはどんな人物だったのか?


清少納言に貶され、落ち込む信経(イメージ)

  • 安和2年(969年)1歳
    藤原為長の子として誕生
  • 長徳元年(995年)27歳
    1月11日 六位蔵人となる。右兵衛尉として見える(これ以前からなっている)。
  • 長徳2年(996年)28歳
    1月25日 兵部丞となる。
    5月3日 作物所別当を兼任する。
  • 長徳3年(997年)29歳
    1月28日 式部丞となる。
  • 長徳4年(998年)30歳
    1月7日 従五位下に叙せられる。
    1月25日 河内権守となる。
  • 寛弘6年(1009年)41歳
    10月15日 越後守として見える。
  • 寛弘8年(1011年)43歳
    12月18日 前越後守として見える(越後守を辞している)。
  • 長和2年(1013年)45歳
    4月15日 内蔵権頭となる。
  • 長和3年(1014年) 46歳
    6月17日 越後守となる。
  • 没年不詳
■藤原信経・基本データ

生没:安和2年(969年)生~没年不詳
両親:藤原為長/母親不詳
兄弟:不詳
妻妾:藤原為時三女
子女:藤原行宗、藤原則経
位階:従五位下
官職:越後守

■終わりに

今回は紫式部の従兄であり義弟でもあった藤原信経について、その生涯をたどってきました。

有能だけどセンスはいまいち?何だか憎めないキャラみたいですね。

藤原為時と越後守を交替する場面があれば、NHK大河ドラマ「光る君へ」にも登場チャンスがあるかも知れません。

もし登場したら誰がキャスティングされるのかも、楽しみに想像を膨らませましょう!

※参考文献:

  • 谷口広樹『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 枕草子』角川ソフィア文庫、2001年7月
  • 角田文衛『紫式部とその時代』角川書店、2007年4月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ