豪華絢爛な衣装に身を包んだ奥女中たちが、激しいバトルを繰り広げる「大奥」。
大奥を題材とした作品は映画・ドラマ・漫画ほかさまざまな作品となり、江戸時代から令和の現代まで長年語り継がれています。
華やかな印象とは裏腹に、大奥では「将軍の秘密を守るため」という理由があったものの、理不尽で厳しいルールが設けられていたことでも有名です。
将軍と性行為したら一生出られない!?女性の園、江戸城 大奥での性生活のしきたりやルール
3代将軍・徳川家光の男色がきっかけ!?江戸時代の大奥が巨大ハーレム化した驚きの理由
中でも「好色なことをするな」という禁欲ルールは、いわゆる「女盛り」といわれる女性たちにとっては厳しいものでした。
奥女中とはいっても生身の人間。恋愛や性愛への渇望は封じ込められるわけもなく、そんなルールなどなんのその、色の道に走った奥女中たちも少なくありませんでした。
奥女中たちの「色の道事件簿」をまとめてみました。
大奥美人養蚕之図 渡辺延一
■豪華絢爛で華やかなイメージの裏で
豪華絢爛な打ち掛けやお引きずりを身に纏い、優雅に長い廊下をあるく上品なお女中たち……美しい女たちの園「大奥」は、江戸城の本丸御殿の奥にありました。
江戸幕府にとって「お世継ぎ」の確保は、重要事項。
将軍は一夫多妻制が当たり前だったので、大奥には、正妻・御台所(みだいどころ)、愛妾・側室(そくしつ)、将軍や御台所の身の回りの世話をする御中臈(おちゅうろう)たちも一緒に暮らしていました。
千代田の大奥・豊原周延
そんな大奥の中では、厳しい掟やルールが設けられていたのです。
たとえば、「将軍の夜の営みの相手を一度でもしたら、一生江戸城から出ることはできず、結婚も許されない」というものや、もし将軍に気に入られたとしても、30歳になったら寝室のお相手を辞退する「御褥御免(おしとねごめん)」など。
将軍の夜の営みなどの秘密をほかに漏らさぬため・医療が発達していなかった当時、20代でも出産はリスクが高かったため・大奥のイメージを損なわないため……など、いろいろな理由があったようです。
草創期の大奥に大いに貢献した春日局(斎藤福)wiki
■「好色なことは禁止」という厳しい掟
大奥には、『大奥女中誓詞』という掟がありました。
たとえば、秘密は口外しない・外部からの願いは聞き入れない・火の元には気を付ける・幕府に対して悪事をなす相談はしない・誠意を持って務めるなどetc。
これらはまだ理解できるのですが、なかには「好色なことをするな」という厳しいものもあったのです。
けれども、恋愛や性愛への渇望は消せるわけでもなく、誓いなどなんのその、色の道に走った奥女中たちも少なくありません。
大奥の上位クラスの奥女中wiki
■「大人のおもちゃ」を愛用する
たとえば、性への渇望を我慢できなかった奥女中たちは、自分で自分の性欲を慰めるためにいわゆる「大人のおもちゃ」を買い求めていたそうです。
※関連記事:
大奥の女中も御用達だった?江戸時代の大人のおもちゃ事情
江戸時代の恋愛や不倫、同性愛、ラブグッズ事情など…教科書では教えてくれなかったこと
江戸時代には、両国に日本最古のアダルトショップといわれる「四ツ目屋(よつめや)」という小間物屋があり、さまざまな媚薬や淫具を扱っていることで大人気でした。
大奥のお女中御用達。大人のおもちゃを扱っていた江戸両国の四ツ目屋 wiki
特に男性性器をかたどった「張型(はりがた)」という「大人のおもちゃ」は大人気だったか。
いろいろな種類があったようですが、中でも鼈甲(べっこう)を使用した張型は1両(※)もする高級品で奥女中が愛用していたそうです。
※1両:米価から換算した1両の価値は、初期の頃で10万円、中~後期で3~5万円ほどの予想。
恋愛・性愛を禁じられた奥女中たちにとって、大人のおもちゃは欲望を満たす道具として必須だったものの、自分で購入しに行くわけにはいかないため、江戸城に出入りする許可を持つ業者にこっそり頼んでいたそうです。
「四ツ目屋道具を愛用する奥女中」の話は上方落語「大名道具」や川柳などにもよく登場していました。
性スキャンダルを巻き起こした、大奥の奥女中と延命院日当(日潤)
【後編】では、そんな大人のおもちゃには満足できず、生身の男に惚れ込んで江戸の街を驚愕の渦に巻き込んだ奥女中の一大スキャンダルをご紹介しましょう。
【後編】の記事はこちら↓
禁断の大奥 色情まとめ!”好色禁止”の奥女中たちが身を焦がした激しすぎる性愛スキャンダル【後編】
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奥女中とはいっても生身の人間。恋愛や性愛への渇望は封じ込められるわけもなく、そんなルールなどなんのその、色の道に走った奥女中たちも少なくありませんでした。
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■豪華絢爛で華やかなイメージの裏で
豪華絢爛な打ち掛けやお引きずりを身に纏い、優雅に長い廊下をあるく上品なお女中たち……美しい女たちの園「大奥」は、江戸城の本丸御殿の奥にありました。
江戸幕府にとって「お世継ぎ」の確保は、重要事項。
将軍は一夫多妻制が当たり前だったので、大奥には、正妻・御台所(みだいどころ)、愛妾・側室(そくしつ)、将軍や御台所の身の回りの世話をする御中臈(おちゅうろう)たちも一緒に暮らしていました。

千代田の大奥・豊原周延
そんな大奥の中では、厳しい掟やルールが設けられていたのです。
たとえば、「将軍の夜の営みの相手を一度でもしたら、一生江戸城から出ることはできず、結婚も許されない」というものや、もし将軍に気に入られたとしても、30歳になったら寝室のお相手を辞退する「御褥御免(おしとねごめん)」など。
将軍の夜の営みなどの秘密をほかに漏らさぬため・医療が発達していなかった当時、20代でも出産はリスクが高かったため・大奥のイメージを損なわないため……など、いろいろな理由があったようです。

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■「好色なことは禁止」という厳しい掟
大奥には、『大奥女中誓詞』という掟がありました。
たとえば、秘密は口外しない・外部からの願いは聞き入れない・火の元には気を付ける・幕府に対して悪事をなす相談はしない・誠意を持って務めるなどetc。
これらはまだ理解できるのですが、なかには「好色なことをするな」という厳しいものもあったのです。
けれども、恋愛や性愛への渇望は消せるわけでもなく、誓いなどなんのその、色の道に走った奥女中たちも少なくありません。

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■「大人のおもちゃ」を愛用する
たとえば、性への渇望を我慢できなかった奥女中たちは、自分で自分の性欲を慰めるためにいわゆる「大人のおもちゃ」を買い求めていたそうです。
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いろいろな種類があったようですが、中でも鼈甲(べっこう)を使用した張型は1両(※)もする高級品で奥女中が愛用していたそうです。
※1両:米価から換算した1両の価値は、初期の頃で10万円、中~後期で3~5万円ほどの予想。
恋愛・性愛を禁じられた奥女中たちにとって、大人のおもちゃは欲望を満たす道具として必須だったものの、自分で購入しに行くわけにはいかないため、江戸城に出入りする許可を持つ業者にこっそり頼んでいたそうです。
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