蘇我氏といえば、古代日本で一際目立つ存在。
彼らの物語は、渡来人たちとの絆や仏教の広まり、そして権力争いという激動の歴史と深く結びついています。
蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳。名前の由来は、月夜の晩に狐が石の上で踊ったという伝説に因む
■渡来人との絆が生んだ力
蘇我氏の台頭を支えた大きな要素の一つが、渡来人との密接な関係です。渡来人とは、朝鮮半島や中国から日本に移り住んできた人々のこと。彼らは農業技術や武器製造、そして文字や仏教などの先進的な知識を持ち込み、日本の発展に大きな影響を与えました。
蘇我氏は、この渡来人たちと協力しながら、自らの勢力を拡大していったのです。今で言えば、海外から最新の技術や知識を持ち帰り、それをビジネスに取り入れて成功を収めたようなもの。
まさに、時代をリードする存在だったんですね。
■蘇我稲目と物部守屋:仏教をめぐる対立
蘇我氏の歴史の中でも、特に注目すべきは仏教をめぐる争いです。蘇我稲目は、仏教という新しい信仰をいち早く取り入れるべきだと主張しました。
これに対して、伝統的な神道を重んじる物部氏は
「日本古来の神々をないがしろにしてはならない!」
と猛反対。
この対立が最終的に武力衝突に発展したのが、587年の「丁未(ていび)の変」です。結果は、蘇我氏が物部氏を打ち倒し、ついに仏教が日本に根付くことになりました。
こうして蘇我氏は大和王権内での力をますます強め、稲目の息子、蘇我馬子の時代には仏教が広く受け入れられるようになったのです。
■蘇我氏の政略結婚:家族を武器に権力を築く
蘇我氏のもう一つの強みは「家族」を武器にした権力掌握です。蘇我稲目の娘や孫たちは天皇や皇族と次々に婚姻を結び、天皇家と血縁関係を築いていきます。家族を通じて王権と結びつくことで、蘇我氏は外戚として絶大な影響力を持つようになりました。
【その2】の記事はこちら↓
古代日本の権力者一族「蘇我氏」の知られざる物語!飛鳥石舞台古墳で歴史の息吹を感じよう【その2】

参考
- 吉田孝『日本の誕生』 1997 岩波新書
- 大津透『古代の天皇制』1999 岩波書店
- 大津透『天皇の歴史01 神話から歴史へ』 2010 講談社
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan