寛和2年(986年)6月22日から寛弘8年(1011年)6月13日まで、約25年にわたり皇位にあった一条天皇(塩野瑛久)が、ついに崩御されました。

最後の希望であった敦康親王(片岡千之助)の立太子は藤原道長(柄本佑)らによって踏みにじられ、失意の内に世を去っていきます。


晴れて自分の孫である敦成親王(あつひら。のち後一条天皇)を皇太子に立てた道長ですが、中宮である娘・藤原彰子(見上愛)からは深く恨まれてしまいました。

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大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより

そんな宮中とは打って変わって市井では、盗賊に襲われた藤原賢子(南沙良)が若武者・双寿丸(伊藤健太郎)に救われます。お礼に自宅へ招いたところ、母のまひろ(藤式部。吉高由里子)が帰宅して……。

NHK大河ドラマ「光る君へ」もそろそろ終盤。第40回放送「君を置きて」とは一条天皇の辞世からとられたフレーズでした。

それでは今週も、気になるトピックを振り返っていきましょう!

■第40回放送「君を置きて」略年表

ゴリ押し、うっかり…藤原道長はそういうヤツ!大河ドラマ「光る君へ」第40回放送(10月20日)振り返り


一条天皇御影。真正極楽寺 蔵

寛弘8年(1011年)まひろ42歳/道長46歳
  • 5月23日 一条天皇の体調不良が続き、道長が内裏に参上
  • 5月25日 道長が内裏を退出。大江匡衡に易筮を行わせる
  • 5月27日 一条天皇が道長に居貞親王と対面の意向を伝える
    同日 一条天皇が次期春宮について藤原行成に諮問する
    同日 藤原行成が敦成親王を春宮にすべき旨を答申する
    同日 大江匡衡が易筮の結果を伝える
  • 6月2日 一条天皇と居貞親王が対面。譲位の旨を伝える
    同日 敦康親王が一品に叙せられ、准三宮となる
  • 6月13日 一条天皇が譲位。道長らが春宮となった敦成親王に拝謁
  • 6月19日 一条天皇が出家する
  • 6月21日 一条天皇が辞世の御製を詠まれ、危篤に陥る
  • 6月22日 一条天皇が崩御する。
    享年32歳
今回は一条天皇が病いによって譲位・崩御するまでのおよそ1ヶ月が描かれました。

むき出しになった父の野望を前に、なすすべもなかった彰子。後に国母として強大な政治力を発揮する彼女も、この時はまだ父の傀儡に過ぎません。

これから道長は即位した三条天皇(居貞親王。木村達成)に対して、ひたすら譲位の圧力をかけ続けていきます。

■敦成親王を推した行成の主張

皇后(藤原定子)が生んだ嫡流の第一皇子である敦康親王をさしおいて、敦成親王を「ゴリ押し」した道長。その主張を、藤原行成(渡辺大知)が代弁していました。

なぜ敦康親王を春宮とすべきではないのか?その理由は大きく3つあります。

1.皇位継承者に相応しい要件とは、血筋よりもきちんとした後ろ楯があるかどうかです。そうでなくては、政治がスムーズに行われません。
→敦康親王は後ろ楯がほぼゼロ、これに対して敦成親王は道長という強大な後ろ楯があります。

2.皇位継承は神が思し召すところであり、人間がとやかく言うものではありません。

→完全な屁理屈。それならば道長や行成だってとやかく言わず、神意をうかがうべきではないでしょうか。

3.敦康親王の母方(定子の実家)である高階氏は伊勢の神宮に奉仕する斎宮(さいくう/いつきのみや)の子孫であるから、その血を引く敦康親王が皇位を継承することは、聖俗混同して神の怒りを買うでしょう。
→これも後付けと言わざるを得ません。なら最初から出家させるなどして、皇位継承者から外しておくべきです。道長だって最初は彰子が皇子を産めなかった時の保険として、敦康親王を丁重に扱っていたではありませんか。

そして最後に、こう加えました。

4.もし敦康親王の処遇が心配なら、相応の地位や恩給を与え、家司でも置けばいいでしょう。
→まぁ皇位継承しなくても、安楽に暮らせれば文句ないでしょ?と言わんばかり。現代に喩えるなら、札束で頬を撫でるような態度です。

ここまで強硬に出られると、一条天皇としても諾(Yes)と言わざるを得ません。

自分の亡き後まで道長が約束を守るとは思えないし、そうなったらいよいよ敦康親王の身が危ないからです。


永年にわたり道長の傀儡にはなるまいと対抗してきた一条天皇ですが、自身の死を前にとうとう膝を屈してしまったのでした。

■その後の敦康親王

ゴリ押し、うっかり…藤原道長はそういうヤツ!大河ドラマ「光る君へ」第40回放送(10月20日)振り返り


人々の同情を集めながら典雅に生き、若くして世を去った敦康親王(イメージ)

……御才(おんざえ)いとかしこう、御心ばへ(心映え)もいとめでたうぞおはしましし……

※『大鏡』より

才能があり、心映えも素晴らしいと評判であった敦康親王。それもあって皇位継承候補から退けられてしまいました。

劇中でも言及されていた通り、敦康親王はその後、典雅と風流に生きていきます。

歌合や物見遊山を楽しんだり、法華八講を催したりなど、なかなか充実した生活でした(でなきゃやってられませんよね)。

長和2年(1013年)12月10日に具平親王女(ともひら娘)と結婚しました。

長和5年(1016年)7月19日に一人娘の嫄子女王(げんし/もとこ。藤原頼通の養女なので藤原嫄子)を授かります。

【光る君へ】皇位継承の希望を絶たれ…藤原道長に未来を奪われた「敦康親王」の一人娘や子孫たちを一挙紹介
ゴリ押し、うっかり…藤原道長はそういうヤツ!大河ドラマ「光る君へ」第40回放送(10月20日)振り返り


しかし寛仁2年(1018年)12月17日に突如として病いを発し、出家した後に20歳という若さで薨去してしまったのでした。

病いについて詳しいことは分かりませんが、敦康親王の存在を危険視した誰かの意向が関係しているのかも知れませんね。

■一条天皇が最期に詠んだ「君」は誰?

露の身の 風の宿りに 君をおきて
塵を出でぬる 事ぞ悲しき

※藤原行成『権記』より

【意訳】風に吹かれる露のようなあなたを置いて、俗塵を脱して=出家してしまう事が、悲しくてならない。

これは一条天皇の辞世と言われますが、この君とは誰のことでしょうか。


今の中宮である藤原彰子か、それともかつて亡くした藤原定子(高畑充希)か。

どちらとも、あるいは誰ともハッキリしないものの、定子の辞世が思い出されてなりません。

煙とも 雲ともならぬ 身なりとも
草葉の露を それと眺めよ

【意訳】煙にも雲にもならない=火葬されず、土葬を希望する私のことを、草場の露を見る度に思い出して下さい。

これはかつて定子を愛しながらやむなく彰子を受け入れた一条天皇へ贈られた歌。一条天皇はこれに応えたのでした。

ちなみに道長は一条天皇の辞世を、自身の日記『御堂関白記』にこう記しています。

露の身の 草の宿りに 君を置きて
塵を出でぬる 事をこそ思へ

※『御堂関白記』より

【意訳】草葉にしたたる露のごとき俗世にあなた(藤原彰子)を置いて、俗塵を脱する=出家する私の想いをどうか知ってほしい。

一度に二首詠んだとも思えないので、各日記の違いは単純に聞き違いかも知れません。

しかし道長としては、一条天皇が定子よりも彰子を愛していてくれた方が好都合。

聞き違えたことにして、辞世を書き換えた?可能性もあり得なくはなさそうです。むしろ道長ならやりかねません。

筆者的には、どちらの君とも相応に長く過ごしていますし、どちらにも愛情はあったものと思います。


■絶対わざとだろ!一条天皇を「うっかり」火葬にしてしまった道長

ゴリ押し、うっかり…藤原道長はそういうヤツ!大河ドラマ「光る君へ」第40回放送(10月20日)振り返り


藤原道長。『紫式部日記絵巻』より

一条天皇は生前、父である円融天皇(坂東巳之)の隣に土葬されることを望んでいました。
定子と同じ土葬がよかったのでしょうね。

その希望は周囲の誰もが知るところでしたが、道長は7月8日に一条天皇の遺体を火葬してしまうのです。

「え、土葬に?そんなこと仰せであったかな……まぁ荼毘に付して(火葬して)しまったものは元に戻せないし、仕方ないんじゃないかな。誰か、異論のある者は?」

絶対わざとでしょ!道長はそういうヤツでした。

敦康親王を皇位から退け、更に死後までこの仕打ち……一条天皇を土葬にしたら、あなたに何か不都合があったのですか?とことん嫌なヤツですね。

とりあえず遺骨は東山の円成寺に安置されました。火葬してしまったにせよ、すぐに円融天皇御陵に埋葬してはいけない理由は何かありますか?まったく道長ってヤツは……(以下略)

果たして一条天皇が円融天皇御陵に埋葬されたのは、崩御から9年も経った寛仁4年(1020年)6月16日。もう悪意しか感じられません。

本当に道長ってのは、そういうヤツです。

■第41回放送「揺らぎ」

※次週は衆議院議員選挙のため、放送時間が10月27日(日)19:10~19:55となります。


即位した三条天皇(木村達成)と道長(柄本佑)の間では、早くも水面下で覇権争いが始まろうとしていた。道長の息子たちの序列争いも表面化し…。その頃、まひろ(吉高由里子)は天皇を失った悲しみに暮れる彰子(見上愛)を慰め、和歌の会を催すことに。すると、招かれていないききょう(ファーストサマーウイカ)が現れる。さらにまひろの実家では、娘の賢子(南沙良)と若武者・双寿丸(伊藤健太郎)が仲を深めはじめ…

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。

三条天皇による新政権の始まりは、道長による譲位圧力の始まりにほかなりません。

また道長の子供たちによる政争も激化、源明子(瀧内公美)が道長の襟首をねじ上げる場面が予告編で垣間見えました。

また双寿丸と藤原賢子がいい感じになって行きますが、多分彼は刀伊の入寇で討死する未来が予想されます。

母とは異なり多彩な恋愛遍歴を持つ賢子ですが、その胸中に想うのは双寿丸……という展開でしょうか。

次週は放送時間が変更されているので、見逃さないよう注意しましょう!

※NHK総合・夜8時は「衆院選開票速報 2024」があるため、「光る君へ」第41回は、夜7時10分より放送。BSP4K、BSの放送に変更はありません。

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