平安時代、藤原道長の栄華を支えた正室・源倫子(りんし/みちこ/ともこ)。彼女の一族は道長と共に栄え、また道長を支えました。


今回はそんな一人・源経相(のりすけ)を紹介。果たして彼はどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。

■地方官を歴任した地味な生涯

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源経相(イメージ)

源経相は天元2年(979年)、源時中(ときなか。源雅信の子)と藤原安親女(やすちか娘)の間に誕生しました。

源倫子の甥に当たり、兄弟には源済政(なりまさ)・源信時(のぶとき)・源重時(しげとき)・源惟時(これとき)・源朝任(あさとう)・源則孝(のりたか)がいます。

元服してはじめ源為能(ためよし)または源惟能(これよし)と名乗り、のち源経相と改めたそうです。

三条天皇・後一条天皇(倫子の孫。母は藤原彰子)・後朱雀天皇(後一条天皇の同母弟)と三代にわたって仕え、地方官を歴任しました。

やがて藤原為盛女(ためもり娘)を妻に娶り、源経宗(のりむね)・源経季(のりすえ)をもうけます。また他の女性との間に女子(藤原資房室)もいました。

最終的には従四位下(じゅしいのげ)・三河守(みかわのかみ)まで昇り、長暦3年(1039年)10月7日に61歳で卒去します。



■源経相・略年表

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それなりに出世した(イメージ)

  • 天元2年(979年)1歳
    日付不詳:誕生
  • 長和2年(1013年)35歳
    1月24日:見前紀伊守
  • 長和5年(1016年)38歳
    11月11日:見丹後守
  • 時期不詳:従四位下
  • 治安2年(1022年)44歳
    1月28日:備前守
  • 万寿3年(1026年)48歳
    1月:辞備前守
  • 長元9年(1036年)58歳
    日付不詳:三河守か
  • 長暦3年(1039年)61歳
    10月7日:卒去
※「見」とはその日に任官したのではなく、史料に見える=その時点で(それ以前から)任官していたことを意味します。

※「前(さきの)」とは元職のこと。
※卒去(そっきょ)とは四位・五位の貴人が亡くなること。三位以上は薨去(こうきょ)。

■終わりに

今回は源倫子の甥・源経相について、その生涯をたどってみました。こうして振り返ると、何とも地味ですね。

いわゆる受領階級(ずりょう。国司)であり、『源氏物語』では何か残念な感じに描かれがちな身分でした。

(それでも六位以下の下級官人や庶民からすれば、雲の上にいる存在なのですが……)

道長の姻族であるから大層出世したのかと思いきや、そんな事はあまりなかったようです。

しかし彼らの一人ひとりが全国各地の富を土御門家に集結させ、道長の覇権を下支えしたのでした。

NHK大河ドラマ「光る君へ」にはまず登場しないものの、こうした中級貴族たちの存在を、劇中あちこちに感じたいものですね。

※参考文献:

  • 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年6月
  • 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年8月

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