2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」の主人公といえば、蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)。

イマドキ風にいえば、トレンドセッター・大ヒットコンテンツの仕掛け人として有名だった版元(出版人)です。


その蔦重が編集長になって初めて刊行した江戸吉原のガイドブック『細見嗚呼御江戸(さいけんああおえど)』の序文を書いたのが、当時「江戸のダ・ヴィンチ」とも呼ばれた平賀源内でした。

2025年大河「べらぼう」に登場!お江戸のダ・ヴィンチ、平賀...の画像はこちら >>


『細見嗚呼御江戸』(国文学研究資料館所蔵) 出典: 国書データベース

さまざまな才能の持ち主で知られる平賀源内でしたが、実は、当時バイセクシャルな男性が流行っていた江戸の街で、生粋の男色家として知られていました。

「こよなく男性を愛する源内が、遊女たちの園・吉原のガイドブックの序文を書いた!」……というのですから、江戸っ子たちはびっくり仰天!蔦重の思惑通り、注目を集めることになったのです。

今回は、天才・平賀源内の男色家としての顔に注目してみました。

2025年大河「べらぼう」に登場!お江戸のダ・ヴィンチ、平賀源内は美少年好きの生粋の男色家だった【前編】


平賀源内の肖像、中丸精十郎(1841-1896)筆wiki

■少年時代から才能を発揮していた源内

2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」で平賀源内を演じるのは、俳優の安田顕さん。

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2025年大河「べらぼう」に登場!お江戸のダ・ヴィンチ、平賀源内は美少年好きの生粋の男色家だった【前編】


平賀源内というと一般的には「土用の丑をうなぎの日にした元祖」「日本最古の電気機器エレキテルの修復・復元」などのイメージが強いのではないでしょうか。

源内は、江戸時代中頃の人物で、本草家・俳人・画家・戯作者・鉱山開発者・発明家・医師など、さまざまな肩書を持つマルチな天才として有名です。

源内は、享保13年(1728)、讃岐国(現在の香川県さぬき市)の足軽・白石茂左衛門の子として生まれました。

幼少期から奇想天外な発想をする少年で、たとえば11歳のとき「お神酒天神」という掛軸を発明しています。

掛け軸にお酒をお供えすると、天神さんの顔がみるみる赤く染まるので大人たちはびっくりしたそう。

顔の部分を透明にし、肌色の紙と赤い紙をスライドさせ、あたかも天神さんがお酒を飲んで酔っぱらったかのような構造にしたのです。

2025年大河「べらぼう」に登場!お江戸のダ・ヴィンチ、平賀源内は美少年好きの生粋の男色家だった【前編】


「天神さん」で親しまれる菅原道真像 wiki

その後、源内は今の薬学・博物学である「本草学」を学び、藩の薬園にも関わるようになり、製陶の知識も身に付けていきます。


長崎遊学で「江戸のダ・ヴィンチ」たる知識を吸収寛延2(1749)年、父の逝去により21歳の時に家督を継ぎ「平賀」の姓を名乗ることになった源内にとって大きな転機となったのは、宝暦2(1752)年、24歳の時の長崎遊学でした。

遊学先では、医学・オランダ語・油画など、さまざまな西洋の知識や技術も習得していったそうです。

宝暦4(1754)年、長崎から戻った源内は藩務退役を願い出でて、妹婿に平賀家の家督を譲り江戸に出た源内。「江戸のダ・ヴィンチ」たる頭角を表し始めます。

2025年大河「べらぼう」に登場!お江戸のダ・ヴィンチ、平賀源内は美少年好きの生粋の男色家だった【前編】


たとえば、安政5年(1776年)、長崎で入手したエレキテル(静電気発生機)を修理して復元したことも有名です。

その後、イベントプランナーとして薬品の博覧会のような「薬品会」や動植物などの展示会などを催し、江戸中にその名が広まるようになっていきました。

■「人たらし」で有名だった平賀源内

自由を好み、大胆な発想・構想力・実行力を兼ね備えた平賀源内は、いつも自信に満ち溢れていて、大風呂敷を広げることも多かったそうです。けれども、人懐っこく憎めない部分もあり、いわゆる「人たらし」で知られていたとか。

マルチクリエーターらしく、人々を魅了する反面一方でうさんくさい人間だという評判もたったそうです。

そんな平賀源内は、生涯を通じて独身を貫きました。

2025年大河「べらぼう」に登場!お江戸のダ・ヴィンチ、平賀源内は美少年好きの生粋の男色家だった【前編】


杉田玄白(石川大浪筆、重要文化財)wiki

親友の蘭学医・杉田玄白が何度となく妻をめとることを進言しても、「四海皆女房なりと悟れば寝覚めも淋しからず」(※)などとうそぶいて、煙に巻いてやり過ごしたそうです。

※四海皆…『論語』顏淵篇にでている故事成語、「四海の内、皆兄弟なり」(真心と礼儀を尽くして交われば、世の中の人みんな兄弟のように仲良くなれる)をアレンジしたものと思われる

男色街によく出入りしていた平賀源内平賀源内が認めていた狂歌師で江戸中に狂歌ブームを巻気起こした大田南畝(おおたなんぼ1749-1823)の随筆『仮名世説』には、以下のような記述が残されています。


「彼は芳町のみでよく遊び、北里(吉原)には行かなかった」

吉原は遊女たちが集う遊郭であるのに対し、芳町は男色街として知られていました。

芝神明門前(現在の港区の芝大神宮)・湯島天神門前・芳町(現在の中央区日本橋人形町のあたり)は、江戸の三大男色地帯で、男性が男性相手に体を売る「陰間」(若い男娼)を置く隠間茶屋が集まっていたそうです。

平賀源内は、若くて美しい少年を好み、特に若い歌舞伎役者を好んでいたとのことです。

2025年大河「べらぼう」に登場!お江戸のダ・ヴィンチ、平賀源内は美少年好きの生粋の男色家だった【前編】


若い歌舞伎役者・女形の陰間が男性と接吻する様子 宮川一笑 wiki

贔屓の美少年役者の死をもとに書いた男色小説そんな源内は、贔屓にしていた歌舞伎役者の溺死事件をもとに書いたという男色小説
『根南志倶佐(ねなしぐさ)』のなかで、

閻魔大王と弘法大師の男色談義の会話で、

「吉原の遊女は蜜のように甘いが飽きやすく、若衆は水のように無味だが飽きが来ない、女は男娼の美には及ばない」

という弘法大師の言葉として表現をしています。非常に実感がこもっている表現なので、これは源内自身が、男色に感じていることだといわれています。

平賀源内の男色エピソードはさらに【後編】に続きます。

【後編】の記事はこちら↓

男娼ガイドブックに男色小説…実は生粋の男色家だった発明家・平賀源内による男色系作品の数々【後編】
2025年大河「べらぼう」に登場!お江戸のダ・ヴィンチ、平賀源内は美少年好きの生粋の男色家だった【前編】


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