1180年(治承4年)に、源氏と平家が一族の存亡をかけて戦った源平決戦。このとき、源氏は白旗を掲げ、平家は赤旗を掲げましたが、この色分けは旗以外にも及んでいました。
『源平合戦屏風図』(Wikipediaより)
『平治物語』を紐解くと、源氏に関する記述として「星白の甲の緒をしめ」「葦毛なる馬に白覆輪の鞍」などと、白が頻繁に登場します。
一方、平家側の記述としては「赤字の垂直」「紅色の母衣」など、赤がよく出てきます。紅白の色分けは、旗だけでなく衣装などにも幅広く及んでいたことが分かりますね。
それにしても、なぜ源氏は白を、平家は赤をシンボルカラーとして用いたのでしょうか。
源氏が白を用いた理由は、以下のように説明されるのが常です。源氏の主力部隊は関東・東北の貧しい武士団でした。
白は彼らの純情かつ潔白な心を表す色であり、源氏は自分たちの信条を示すために白旗を掲げたというのです。
■派手好きか、サメよけか
一方、平家の赤にはいろいろな説があります。
まず、平家の派手好き説。平家は朱塗りの厳島神社を建立するなど、ともかく派手な色が好きだったようです。そこで、戦場での旗印、軍装も派手な赤を基本カラーにしたというわけです。
また、中国の道教思想の影響があったいう説もあります。

横浜中華街の関帝廟
もう一つ、まったく異質な説もあります。赤は平家の色ではなく、漁師の色だという説です。
昔から、漁師はサメよけに赤いものを使っていました。その漁師たちが平家に加勢したため、平家の軍勢は赤旗を掲げているように見えたという説です。いずれにしても、本当のところは不明です。
■ハレの日のルーツ?
ちなみに、この源氏と平氏の紅白の色分けが、日本の祝い事におけるルーツの一つになったという説があります。
例えば日本ではハレの日に、その場をハレの場として見せるため赤と白の布を張りますね。

紅白幕
このように、紅白の組み合わせがおめでたいという意味合いを持つようになった由来も諸説ありますが、その中のひとつが「源平合戦ルーツ説」があるのです。
先述のように源平合戦で源氏が白、平家が赤の旗を掲げて戦ったことから、紅白を並べることでいさかいもなく平和に過ごせるとされ、おめでたい時に使われるようになったという説があるのです。
ただこれについては源平合戦以外が由来だという説もあり、一概には言えません。
例えば、おめでたい時に赤飯を食べる習わしがあることから、赤い色との組合せがおめでたい場面に使われるようになったという説もあります。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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