■前方後円墳とは

古墳の一種である前方後円墳。一般的には、日本の古墳時代に築造された、特定の形態の墳丘墓を指す歴史用語です。
別称を「高塚」「墳丘墓」ともいいます。

前方後円墳はその古墳の形式のひとつで、円形の主丘に方形の突出部が接続する形で、双丘の鍵穴形をなすものです。

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前方後円墳の代表例、大仙陵古墳

この形式の古墳は、主として日本列島で三世紀後期から七世紀初頭頃にかけて築造され、日本列島の代表的な古墳形式として知られています(ちなみに畿内大王墓は6世紀中頃までに築造されたものとされています)。

■あなたはどう描く?

ところでこの前方後円墳を絵に描くとしたら、皆さんはどのように描くでしょうか。

多くの人が鍵穴・こけし・てるてる坊主に似たデザインで描くことになると思いますが、いずれも、円と方形を組み合わせた形であることは共通しています。

これらを紙に描く場合は、円を上に、そして方形を下にもってくる人がほとんどだと思います。この場合、感覚としては「円が前、方形が後ろ」となるでしょう。

ちなみに前方後円墳を英語でいうと、ズバリ「鍵穴形」を指すkeyhole-shaped となります。

あなたの「前方後円墳」の描き方は間違い!?江戸時代にあった古墳の築造に関するトンデモ説


兵庫県最大の前方後円墳・五色塚古墳

しかし、よく考えてみて欲しいのですが、こと前方後円墳に関しては、これを逆さに描かなければなりません。そうしないと前円後方墳になってしまうからです。

前方後円墳と呼ぶ以上、これを描く際は円が後ろ(下)で方形が前(上)になるのが正しいと言えるでしょう。

では、昔の人が実際に前方後円墳を築造する際、その前と後ろはどうやって決めたのでしょうか。




■江戸時代のトンデモ説

実は、前方後円墳という名をつけたのは江戸時代後期の国学者・蒲生君平です。

あなたの「前方後円墳」の描き方は間違い!?江戸時代にあった古墳の築造に関するトンデモ説


蒲生君平(Wikipediaより)

当初、蒲生は古墳の形について「これは車を模したものだ」と考えていました。

もちろん車といっても、現在の乗用車ではありません。大きな車輪を二本の棒で引っ張る牛車や人力車のイメージです。

そう考えると、たしかに方形の部分が前で円形の部分は後ろになりますね。

ただ、蒲生の説が間違いだったことは明らかです。現在では、古墳時代にはそんな車など影も形も存在しなかったことが分かっているからです。今の時代から見れば、蒲生説はトンデモじみたものだったと言えるでしょう。

また、古墳時代の人たちが本当に「前方後円」と思っていたかどうかは不明です。そのうち新事実が発見され、「前円後方墳」に改められる可能性もゼロではありません。

私たちは、前方後円墳についてよく知っているようなつもりでいますが、本当のところはほとんど何も分かっていないのです。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

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