大宰府で再会した周明(松下洸平)と打ち解け、藤原隆家(竜星涼)に迎え入れられたまひろ(藤式部。吉高由里子)。
都から遠く離れた大宰府で、みんな居場所を見つけて充実した暮らしを送っているのを目の当たりにしたせいか、いたたまれなくなって松浦の地を目指します。

そんな中、対馬や壱岐では刀伊の海賊が襲来。国司が殺されるレベルの大惨事となっていました。

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大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより

能古島を拠点に博多へ迫り来る刀伊の海賊たちを果敢に迎え撃つ隆家たち寄せ集め武士団。一度は撃退したものの、まだまだ脅威は続きます。

船越の津までやってきたまひろ達は刀伊の海賊たちに襲撃され、周明は流れ矢?で命を落としてしまったのでした。

NHK大河ドラマ「光る君へ」もいよいよ最終盤、第46回放送「刀伊の入寇」も気になるトピックを振り返っていきましょう!

■第46回放送「刀伊の入寇」関連略年表

乙丸、無事でいてくれ!「刀伊の入寇」の詳細など…『光る君へ』12月1日放送回を楽しく振り返る


颯爽と戦場を駆ける藤原政則。『愛国物語』より

寛仁3年(1019年)まひろ50歳/道長54歳
  • 3月28日 刀伊の海賊が対馬を襲撃する
  • 3月末 刀伊の海賊が壱岐を襲撃、国司の藤原理忠が殺される
    壱岐島分寺の常覚が義勇兵を結成、刀伊の海賊に抗戦する
    常覚らが刀伊の海賊を三度まで撃退するが、島分寺は陥落。常覚は単身脱出する
  • 4月7日 刀伊の海賊が筑前国怡土郡・志摩郡・早良郡を経て能古島に入る
    同日 隆家が京都に報告書を送る
  • 4月9日 刀伊の海賊が博多警固所を襲撃。隆家らが撃退する
  • 4月11日 刀伊の海賊が能古島を放棄して敗走を開始する
  • 4月12日 刀伊の海賊が船越津(志摩郡)に上陸するが、撃退される
  • 4月13日 刀伊の海賊が松浦郡へ敗走する
※以降の消息不明
※日付については諸説(若干のズレ)があるようです。

今回は刀伊の入寇を中心に、およそ2週間ばかりの場面が描かれていました。

残り2回なのに、藤原道長(柄本佑)が薨去する万寿4年(1027年)まで描けるの?と思ってしまいますが、最終回で一気にすっ飛ばすものと予想されます。


にしても双寿丸(伊藤健太郎)はじめ、皆さんの大立ち回りが楽しそうでしたね。

次回はもうまひろが帰京しているようでしたが、戦の名残はあるでしょうか。

■刀伊の入寇、誰がどこで戦った?

大宰権帥である藤原隆家が騎馬甲冑姿で陣頭指揮をとった……というのは大河ドラマの創作です。

だって隆家が博多の警固所に行ってしまったら、大宰府の政務は誰が見るのでしょうか。非常事態とは言え、社会を維持するための営みは欠かせません。

しかしそんな野暮は言いっこなしにしましょう。

視聴者の皆さんが求めているのは「大宰府で自由になった隆家が、真の仲間たちと力を合わせて強敵に立ち向かう勇姿」なのですから。

という訳で、ここでは刀伊の入寇に際して誰がどこの配置で戦ったのか、概略をまとめました。

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寄せ集め武士団(イメージ)

【博多警固所】

  • 藤原助高(すけたか)前大宰大監
  • 大蔵種材(おおくらの たねき)前大宰少監
  • 藤原明範(あきのり)前大宰少監
  • 平為賢(ためかた)散位
  • 平為忠(ためただ。為賢の子か)散位
  • 大蔵光弘(みつひろ。種材の子)傔仗
  • 藤原友近(ともちか)傔仗
  • 紀重方(きの しげかた)友近の随兵
【海上】

  • 平致行(ともゆき/むねゆき)前大宰少弐
  • 藤原致孝(むねたか)前大宰大監
【怡土郡】

  • 多治久明(たじの ひさあきら)住人
【志摩郡】

  • 文屋忠光(ふんやの ただみつ。文室忠光)住人
【船越津】

  • 財部弘延(たからべの ひろのぶ)擬検非違使
  • 大神守宮(おおがの/おおみわの もりみや)不詳。
    神官(実名でなく職名)か
【松浦郡】

  • 源知(しるす/さとる)前肥前介
※ずっと固定ではなく、戦況の推移によって適宜移動したことは言うまでもありません。

<用語解説>前(先の~):元職。
大宰大監(だざいのだいげん):大宰府の三等上官。
前大宰少監(~しょうげん):大宰府の三等下官。
散位(さんい):位階だけあって、官職がない状態。
傔仗(けんじょう):地方官に配属する護衛武官。
随兵(ずいひょう):随従する兵士。
大宰少弐(だざいのしょうに):大宰府の二等下官。
住人(じゅうにん):民間人ではなく、在地の土豪。
擬検非違使(ぎけびいし):検非違使になぞらえた地方の保安官。
肥前介(ひぜんのすけ):肥前国の国司次官。

こうして見ると前(さきの~)が多く、常備軍隊を回す余裕がなかったことが察せられます。


このいかにもな寄せ集め武士団を率いて、というか一緒になって隆家は刀伊の海賊たちを撃退したのでした。胸が熱くなりますね!

■隆家の子?藤原政則が大活躍

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刀伊の入寇で奮闘した藤原政則。菊池容斎『前賢故実』より。

今回は登場しないようですが、隆家の子という説がある藤原政則(まさのり)も大いに奮闘していました。

……寛仁三年。刀伊賊寇対馬壱岐。攻殺壱岐守理忠。進入筑前。政則及郡人文室忠光等拒之。頗有殺獲。賊又至那珂郡。隆家再遣大蔵種材猛険要。賊舩奄至。
欲焼衛所。府兵奮戦破之。賊退于能古島。又寇志摩郡舩越津。隆家政則豫遣兵邀撃。賊又逃去。隆家遣政則平致行種材等。発舩三十餘艘追撃走之。……

※菊池容斎『前賢故実』巻之六 後一條天皇朝九名 藤原政則

【意訳】刀伊の海賊たちが対馬・壱岐を襲撃。壱岐守の藤原理忠(まさただ)を攻め殺し、筑前まで侵入してきた。政則は文室忠光らと共に防戦し、刀伊の海賊らを多数討ち取り、生け捕りにする。
また那珂郡(筑前国)に刀伊の海賊が襲来したので、隆家は政則と大蔵種材を派遣。
ここでも奮闘の末に撃退、賊らは能古島へ退却した。
刀伊の海賊らはさらに志摩郡の船越津を襲撃したため、隆家は政則を急行させ、これを迎え撃たせる。
いよいよ刀伊の海賊らが逃げ出したため、隆家は政則・平致行・大蔵種材らを追撃を命じた。
政則らは三十余艘の兵船をもって逃げゆく海賊たちを追撃する。

……まさに三面六臂の大活躍ですね。こうした軍功をもって、後一条天皇は政則に錦の旗と御製の和歌を贈りました。

つくしなる 矢峰の嶽の ふもとには
たけき男の子(おのこ)の 住むとこそきけ

※『愛国物語』神國日本 刀伊の賊

「矢」に「たけ(竹≒嶽、猛)」をかけているのが分かります。「筑紫に猛々しい政則がいるから安心だ、もう攻めてくるなよ」という内外へのメッセージに他なりません。

政則は父が帰京した後も大宰府に留まり、やがて肥後国菊池郡を賜り、息子が移住。これが後世まで続く菊池氏の発祥と言われています(諸説あり)。

■刀伊の入寇で受けた各地の被害は?

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焼け落ちる壱岐島分寺(イメージ)

かくして2週間ほどにも及んだ激戦と略奪の末、各地ではどれほどの被害が出たのでしょうか。

各地の様子をうかがってみます。


※犠牲者数についても諸説あるようなので、あくまで参考程度にして下さい。

【大宰府による総合報告】
・殺害364名
・拉致1280名
・家畜被害355頭

【対馬国】
・殺害36名(内訳不明)
・拉致346名(男性102名、女性244名)
※拉致された内、約270名は高麗に救助され、対馬に送還されている

【壱岐】
・殺害296名(壱岐守・藤原理以下官軍148名、男性44名、女性59名、子供29名、僧侶16名)
・拉致239名(すべて女性)

全体被害から対馬・壱岐の両国を差し引くと、九州各地の被害が分かりますが、細かなデータは不明です。

殺害数を見る限り、壱岐国の被害が群を抜いて甚大でした。

壱岐島分寺では常覚(タイソン大屋)が義勇軍を組織して三度まで刀伊の海賊らを撃退したそうですが、手こずらされた腹いせもあったのかも知れませんね。

対馬に比べて島が狭いため、逃げきれなかった可能性も考えられます。

■「あなたの好きにしていいわ」源倫子もあきれた赤染衛門の大真面目ぶり

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藤原氏興隆の象徴となった藤原基経。菊池容斎『前賢故実』より

倫子「私は殿(道長)の栄華を描いて欲しいと言ったのだけれど……(意訳)」

赤染衛門「だからこそ藤原氏の興隆を描いたのです。何なら中臣鎌足から描こうと思ったところですが、さすがに寿命が尽きそうなのでやめておきました(意訳)」

……宮中の輝かしい一幕を切り取った『枕草子』、人間の闇をはかなくえぐり出した『源氏物語(光る君の物語)』ときて、ならば自分は「史上初めて仮名文字で歴史を描き上げる」ことに価値を見出した赤染衛門(凰稀かなめ)。彼女らしい大真面目さに、源倫子(黒木華)もあきれ顔です。

赤染衛門が記したとされる『栄花物語』は、宇多天皇の即位から描かれており、道長が生まれる80年近く前になります。

この時代の藤原氏長者は藤原基経(もとつね)、道長から遡ること実に4代の祖先(道長の高祖父)でした。

【藤原氏略系図】
……基経-忠平-師輔―兼家-道長……

基経は日本史上初めての関白と言われ、まさに藤原氏の興隆を象徴する人物と言えるでしょう。

ちなみに藤原氏の初代である藤原鎌足(かまたり)まで遡ると、道長から数えて11代。高祖父の高祖父の曾祖父に当たります。

【藤原氏略系図】
……鎌足-不比等-房前-真楯-内麻呂-冬嗣-長良-基経-忠平-師輔―兼家-道長……

さらに悪ノリ?を発揮して、藤原氏の祖先神である天児屋根命(アメノコヤネノミコト)まで遡ると、道長から33代になりました(諸説あり)。

【道長の祖先略系図】
天児屋根命-天押雲根命-天種子命-宇佐臣命-御食津臣命-伊賀津臣命-梨迹臣命-神聞勝命-久志宇賀主命-国摩大鹿島命-臣狭山命-中臣烏賊津-中臣大小橋-中臣阿麻毘舎-中臣音穂-中臣阿毘古-中臣真人-中臣鎌子-中臣黒田-中臣常盤-中臣可多能祜-中臣御食子-藤原鎌足-藤原不比等-藤原房前-藤原真楯-藤原内麻呂-藤原冬嗣-藤原長良-藤原基経-藤原忠平-藤原師輔―藤原兼家-藤原道長……

※系図によって諸説あり。また複数の名前を持つ者もいます。

天児屋根命は天孫・邇邇芸命(ニニギノミコト)が天上世界の高天原より豊葦原瑞穂国(日本)に降り立たれる際にお供した由緒ある神様です。

本当はきっと、赤染衛門は日本神話から描きたかったことでしょう。こういう大真面目さが彼女の魅力ではないかと思います。

■第47回放送「哀しくとも」

まひろ(吉高由里子)たちは異国の海賊との戦いに巻き込まれ、敵の攻撃で、周明(松下洸平)が倒れる。一方、朝廷にも攻撃による被害状況が伝わり、動揺が広がる中、摂政・頼通(渡邊圭祐)は対応に動かず、太閤・道長(柄本佑)への報告も止めてしまう。そんな事態を歯がゆく思う実資(秋山竜次)の元に、海賊との戦いを指揮する隆家(竜星涼)から文が届く。やがて異国の脅威を知った道長は、まひろの安否が気になり…

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。

せっかく再会できた周明と死に別れ、悲しみにくれるまひろ。その後どうにか帰京するようですが、双寿丸と乙丸(矢部太郎)の安否が心配で夜しか眠れません。

「華々しく討死しそうな双寿丸はともかく、乙丸だけは無事でしょ(希望的観測)」

「いやいや、愛する妻への紅を買っていたから、きっとあれが死亡フラグに違いない」

「乙丸を楽しみに毎週観てきた身としては、もし乙丸がいなくなったら、もう後3回くらいしか観てられない!」

あぁ、いまだかつてない不安と悲しみが視聴者を苛むことでしょう。

ラスト2回で、なかなかハラハラさせられますね。乙丸だけでも、どうか無事でいてくれ……っ!

次週第47回放送「哀しくとも」心して見守りましょう!

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