本作では、後世「江戸のメディア王」と謳われる蔦重こと蔦屋重三郎の生涯を、横浜流星が熱演します。
また多くの人々が登場・活躍するのも本作のみどころ。
今回はそんな一人・近衛通子(このゑ みちこ)を紹介。花總まりが演じる生涯を、予習したいと思います。
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■田安宗武と結婚、7人の子を授かるが……。

通姫(イメージ)
近衛通子は享保6年(1721年)、近衛家久の娘として誕生しました。
初名は知姫(とも)。のちに森姫(もり)、通姫(みち。通子)と改名しています。
13歳となった享保18年(1733年)に江戸城二ノ丸へ入り、享保20年(1735年)に5歳年長の田安宗武(たやす むねたけ)と結婚。当時15歳でその正室となりました。
田安宗武は8代将軍・徳川吉宗(よしむね)の次男で、御三卿の一角をなす田安家の初代当主です。
宗武との間には7人の子を授かっており、夫婦仲は円満だったと言えるでしょう。
【近衛通子と田安宗武の子供たち】
- 長女:誠姫(まさ。伊達重村許嫁。寛保元年・1741年生~宝暦9年・1759年没)享年19歳
- 次女:裕姫(ひろ。寛保3年・1743年生没)享年1歳
- 長男:小次郎(こじろう。延享2年・1745年生~宝暦3年・1753年没)享年9歳
- 次男:銕之助(てつのすけ。延享4年・1747年生~宝暦2年・1752年没)享年6歳
- 四女:仲姫(なか。池田重寛正室。寛延4年・1751年生~安永8年・1779年没)享年29歳
- 五男:徳川治察(はるさと/はるあき。宝暦3年・1753年生~安永3年・1774年没)享年22歳
- 五女:節姫(とき。毛利治親正室。宝暦6年・1756年生~文化12年・1815年没)享年60歳
※長女、次女などは宗武から見た間柄です。
こうして見ると、軒並み夭折しており、7人中20歳以上まで生きたのは3人。
やがて明和8年(1771年)6月4日に宗武が亡くなると落飾し、宝蓮院(または法蓮院)と号します。
安永3年(1774年)に徳川治察が亡くなり、実子がいないため空席となった田安家の家督を代行し、女性当主として余生をまっとうしました。
そして天明6年(1786年)1月12日に66歳で世を去り、寛永寺凌雲院に葬られたということです。
田安家の家督は一橋家(御三卿の一家)から徳川斉匡(なりまさ)を養子に迎えたことで、後世へと受け継がれました。
■近衛通子・略年表

田安宗武(画像:Wikipedia)
- 享保6年(1721年) 誕生(1歳)
- 享保18年(1733年) 江戸城二ノ丸へ入る(13歳)
- 享保20年(1735年) 田安宗武と結婚(15歳)
- 寛保元年(1741年) 誠姫を出産(21歳)
- 寛保3年(1743年) 裕姫を出産するも、夭折(23歳)
- 延享2年(1745年) 小次郎を出産(25歳)
- 延享4年(1747年) 銕之助を出産(27歳)
- 寛延4年(1751年) 仲姫を出産(31歳)
- 宝暦2年(1752年) 銕之助に先立たれる(32歳)
- 宝暦3年(1753年) 徳川治察(松平寿麻呂)を出産(33歳)
同年 小次郎に先立たれる - 宝暦4年(1754年) 徳川治察が田安家の世子(家督継承者)となる(34歳)
- 宝暦6年(1756年) 節姫を出産(36歳)
- 宝暦9年(1759年) 誠姫に先立たれる(39歳)
- 明和元年(1764年) 徳川治察が元服する(44歳)
- 明和8年(1771年) 夫・宗武に先立たれ、徳川治察が田安家を継承する(51歳)
- 安永3年(1774年) 徳川治察に先立たれ、家督を代行する(54歳)
- 安永8年(1779年) 仲姫に先立たれる(59歳)
- 天明6年(1786年) 世を去る(66歳)
- 天明7年(1787年) 徳川斉匡が田安家に養子入り、その家督を継承する
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」では、どのような女性として描かれるのでしょうか。
花總まりの好演に期待しましょう!
※参考文献:
- 高澤憲治『人物叢書 松平定信』吉川弘文館、2012年9月
- 土岐善麿『田安宗武』日本評論社、1942年5月
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