【前編】では、ナシの由来とセイヨウナシとの関係などについて説明しました。
愛されフルーツ「ナシ」の歴史は想像以上に古かった!その起源と歴史を解説【前編】
【中編】では、日本で行われている栽培方法とその品種について見ていきましょう。
皆さんは、ナシ園に行ったことがあるでしょうか。ナシ園に植えられているナシの木は、他の果物の木とは違った形をしています。
ナシ園には、成人が軽く手を伸ばすと届くくらいの高さの棚があり、木の幹は胸の高さくらいで、幹から出た太い枝が棚に沿って横に伸ばされています。
これは、剪定などで人が木の形を調整したものです。本当は、自然のナシの木の形は上に高く伸び、大きな木では20メートル以上の高さにもなります。
ちなみに新潟県の新潟市月潟では、江戸時代に植えられた樹齢200年といわれる類産ナシ(チュウゴクナシ系)の木が棚栽培の形で残っており、国指定天然記念物になっています。
鳥取県や山口県では、樹齢100年を超える「二十世紀」ナシの木が残っており、今でもまだたくさんの果実を実らせる長寿梨として有名です。

樹齢100年を超える鳥取県の梨の樹「百年樹」(Wikipediaより)
■棚栽培の大きなメリット
さて、ナシの「棚栽培」は日本独特の栽培方法で、江戸時代のはじめに三河(現在の愛知県)の医師が考案したとされています。
江戸時代の棚は木や竹を縄で編んで作られていましたが、現在のナシ棚は金属のパイプや針金で作られるのが主流です。

特徴的な梨畑
ナシを棚で栽培する理由はいくつかあります。
まず、台風対策です。果実の収穫時期が台風の多い時期と重なるため、実が風で落ちないように枝を棚に結びつけなければなりません。
また、ナシには立っている枝を棚につけると花がつきやすいという性質があります。それに加えて、棚栽培によって収穫時に脚立などを使う必要がなくなり、剪定がしやすくなるというのも大きな理由です。
さらに、棚栽培なら果実の周りの葉の当たりもよくなりますし、果実が揃って大きくなります。
■ナシと日本人との出会い
東北地方の民話で「なら梨とり」というものがあります。病気になった母親のために、親孝行の三人兄弟が魔物の住む奥山にナシを採りに行く話です。
人とナシの最初の出会いは、こうした山や森での採集から始まったのでしょう。そして飢えを助け、薬にもなるナシの木(ナシの健康効用は後編で解説します)は大切に保存されました。
その後も、優れたナシの木は種や枝で人々によって増やされ、ただのナシとは区別される存在となったのです。そうして、さまざまな品種が生まれたと考えられます。
よってひと口に同じニホンナシといっても、果実の収穫できる時期、病気に対する強さ、花の色、葉の大きさ、果実の形、味など、その特徴はさまざまです。
例えば幸水という品種は、夏の暑い時期に収穫できて、果実の大きさは中ぐらいで、果肉は柔らかく、甘いのが特徴です。

切り分けられた幸水
一方、晩三吉という品種は秋が深まるころに収穫できて、幸水の二倍ぐらいの大きい果実をならせます。
【後編】では、ナシにまつわる言い伝えやおまじない、現代の健康効用などを解説します。
【後編】の記事はこちら↓
愛されフルーツ「ナシ」の歴史は想像以上に古かった!その起源と歴史を解説【後編】

参考資料:さわむらゆたか・かじうらいちろう編集『ナシの絵本 (そだててあそぼう)』農山漁村文化協会 (2006年)
画像:photoAC,Wikipedia
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