終戦直後の日本はインフレで苦しみましたが、それとはまた別に、沖縄ではめまぐるしく通貨が入れ替わって混乱が生じるという事態になっていました。
おそらく本州ではあまり知られていない、当時の沖縄の通貨の変遷をたどってみましょう。
太平洋戦争中の1945(昭和20)年4月に、アメリカ軍が沖縄本島に上陸しました。
沖縄本島最南端の海岸
そして、終戦後も沖縄はアメリカ軍の管轄下に置かれることになります。
当時、沖縄には通貨が事実上存在していませんでした。よって住民の生活は、物々交換やアメリカ軍が放出する諸物資によって支えられていました。
さて翌年4月、アメリカ軍が発行した「B円」と呼ばれる軍票が法定通貨になり、戦後に発行された新しい日本円も併用されることになります。
しかしこのB円がくせものでした。
■いい加減にしろ、B円
B円が発行されてからたった4カ月後の8月には、B円を新日本円に交換するよう命じられ、一時的にB円は流通しなくなりました。
かと思えば、今度は1947(昭和22)年にB円が復活し、翌年にはB円が法定通貨に統一されたのです。
これだけでも混乱するには十分ですが、さらに1958(昭和33)年には法定通貨がB円からアメリカドルに切り替えられました。

B型軍票、通称「B円」(Wikipediaより)
当時の沖縄の人々は、きっと「いい加減にしろ」と思ったに違いありません。
アメリカドルへの切り替えは、おそらく外資を導入したり外資系企業を誘致するなどして沖縄の経済を復興させようという狙いがあったのでしょう。
しかし思惑通りには進まず、輸出産業のない沖縄では貿易による赤字が増大。
■返還後にはインフレ
ご存じの通り、沖縄の施政権が日本に返還されたのは1972(昭和47)年のことです。
当然、通貨もドルから円に切り替えられましたが、これは沖縄の人にとっては重大な問題でした。
何故かというと、前年にはドルに対して円が切り上げられて1ドル360円だったものが、今度は308円になり、あげく返還の翌年には変動為替相場制に移行してしまったからです。

つまりそれまでは1ドル札で360円のものが買えたのに、308円のものしか買えなくなり、さらに安いものしか買えなくなってしまったのと同じことでした。
これは、別の視点で見れば物価が急に高騰したのと同じことです。
現代に住む私たちは、物価高騰の恐ろしさを今まさに身をもって体験しているわけですが、当時の沖縄県の人もまた、通貨の切り替えによって同じような苦しみを味わっていたのです。
このように、沖縄では戦後の27年間に5回も通貨が変わりました。その上、返還後も急激なインフレに悩まされることになりました。
通貨が入れ替わる混乱を経験したことがない時代・地域に住んでいる人にとっては、実感をもって理解することはなかなか難しいでしょう。
こんなところにも、戦中・戦後を通じて沖縄の人々が体験してきた苦難の歴史が見受けられます。
参考資料:執筆・監修阿部泉『明日話したくなるお金の歴史』清水書院、2020年
画像:photoAC,Wikipedia
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