■「本所の銕(てつ)」

2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』にも登場する、のちの「鬼平」こと長谷川平蔵。

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「べらぼう」で長谷川平蔵宣以を演じる中村隼人さん (大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより)©NHK

彼は若い頃に親の遺産を食いつぶして放蕩生活を送っていたといわれていますが、その実態はどのようなものだったのでしょうか。
前編・後編に分けて解説します。

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池波正太郎の『鬼平犯科帳』では、平蔵は妾の子として生まれ、本家に子どもがいなかったために跡取りとして迎えられたものの、意地の悪い継母との折り合いが悪く若い頃に放蕩三昧の日々を過ごしたと描かれています。

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『鬼平犯科帳』シリーズの著者・池波正太郎(Wikipediaより)

若い頃の名前が銕三郎(てつさぶろう)だったことから「本所の銕」として恐れられ、のちに密偵となる相模の彦十やおまさとはこの「本所の銕」時代からの知り合いです。

平蔵の生誕地は本所ではなく、旧屋敷があった赤坂の築地中之町(現在の港区赤坂)でした。

彼が正妻の子でなかったのは事実で、大名や幕臣の系譜が記された『寛政重修諸家譜』では、母は「某氏」となっており名は不明です。

長谷川家には上総国武射郡・山辺郡(千葉県東部)に知行地があったため、実母はこの地から奉公に上がった女性だとする説もあります。

■継母とは確執なし

長谷川家は、将軍や世継ぎの身辺を警護する御書院番や小姓組番を代々務める名門でしたが、400石の小身でした。

その屋敷は平蔵が5歳の時に築地湊町へ移り、その後、本所に再移転しました。死没年から逆算すると、平蔵は延享2年(1745年)の生まれだったことになります。

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父・宣雄の正妻は平蔵が5歳の時に亡くなっており、以降、後妻である家女に育てられました。

ただし、『鬼平犯科帳』に描かれているように継母から疎んじられていた記録はなく、また生母は平蔵の死後も長谷川家にいたことから、小説で描かれたような継母との不仲はなかったと思われます。

■父の死と遺産の食い潰し

明和元年(1764年)、平蔵が18歳の時に長谷川家は本所菊川町に屋敷替えとなりました。
ただし、この頃に、小説で描かれるような荒れた生活をしていたことを示す史料は残っていません。

平蔵にとって大きな転機となったのが父の死です。父・宣雄は旗本の中でも傑出した人物であり、安永元年(1772年)に京都西町奉行に就きました。

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東京都の南町奉行所跡の石碑

そして交渉に手練れた僧侶や社人(神主)を相手に寺社訴訟を次々に処断していきます。ところが激務がたたり、就任後わずか8ヶ月で亡くなりました。

『京兆府尹記事』によると、宣雄の死は「貴賤問わずに惜しんだ」とのことでした。

一方、同書には平蔵の放蕩ぶりについても記述があります。

25歳だった平蔵は長谷川家の当主として小普請組に入ります。ここは「非役」と呼ばれる役無しの部署で、不祥事を起こした者や病気になった者、高齢者などが就く窓際族の部署でした。

暇を持て余した平蔵はここで放蕩生活を送ることになります。『京兆府尹記事』によると、父・宣雄が倹約をして貯めた財産を、悪友とともに遊里で豪遊して使い果たしたことが記されています。

【後編】の記事はこちらから↓



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参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画像:photoAC,Wikipedia

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