【前編】では、ドラマ7話「好機到来『籬(まがき)の花』」で、蔦屋重三郎(横浜流星)が作った「吉原再見」をヒットさせるために、花の井(小芝風花)が妓楼・松葉屋で代々続いていた「瀬川」の名前を継ぐことに決めたところまでご紹介しました。

大河『べらぼう』実在した花魁「花の井」が五代目「瀬川」を襲名!美しく男前…その魅力に迫る【前編】
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大河『べらぼう』で花魁・花の井が実在した「五代目 瀬川」を襲名!美しく男前…その魅力に迫る【後編】


松葉屋で蔦重ピンチの話を聞いてしまった花の井。
NHK「べらぼう」公式HPより

聡明で頭の回転が速く、ポジティブできっぷのいい江戸っ子の花の井は、蔦重がお江戸の名プロデューサーとして駆け上がっていくサポートをする重要な人物。

第7話では「男前な花の井」に惚れ直した!カッコ良すぎるなどの声が上がりました。【後編】では、その続きをご紹介します。

■花魁の名跡襲名のたびに「吉原細見」が大ヒットするという事実

そもそも「名跡(みょうせき)」というのは、代々継承される芸名や家名のことです。「瀬川」というのは、実際に、新吉原江戸町松葉屋半右衛門(正名僕蔵)かたの遊女で、享保から天明まで9人いました。

ドラマの2話「吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』」で、平賀源内が妓楼・松葉屋を訪れたときに平賀源内が「瀬川(という遊女)っていねえの?」と尋ね、女将のいね(水野美紀)が「昔はいたけれども、今は空き名跡なんだよ」と断ったシーンを覚えている人は多いでしょう。ドラマでは松葉屋においては「瀬川」の名前はタブーになっているようでした。

◯◯太夫など有名な花魁の襲名するということは、単純に名前を継ぐというだけではありません。その花魁の名前が持っているイメージ・信用・気風などはもちろん、先代から引き継がれている「顧客」などすべて引き受けることになります。

その名前を継ぐものにとっては、とてつもない重責でしょう。

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平賀源内の恋人・二代目瀬川菊之丞が演じる花魁「瀬川 路考」歌川豊国

そのため、新しい世代の遊女が名跡襲名するとなると、吉原の一大トピックスとなったのです。【前編】でもご紹介しましたが、吉原では有名な花魁の名跡襲名のたびに「吉原細見」が大ヒットしたとか。
そこで、花の井は蔦重が新たに知恵を絞って作った「吉原細見」を売るために、瀬川の名前を引き継ぐことを決意したのでした。

瀬川という松葉屋の花魁は実在の人物ですが、ドラマでは先代(四代)の瀬川は「まぶと添い遂げたかった花魁は身請けが嫌で自害した」ということになっています。

蔦重が「瀬川の名前は不吉なのに背負っていいのか」と心配するも、花の井は「そんな不吉はわっちの性分じゃ起こりそうもない」と一蹴。蔦重に余計な負担をかけたくないという気遣いでしょう。

「わっちが豪儀な身請けをして、瀬川の名前を幸運の名跡にする」といいます。

「男前だな、おめえ」と感謝する蔦重。まさに、どうせ添い遂げられるわけはないなら、自分の運命をかけても蔦重を助ける花の井は、本当に惚れ惚れするような男前で、かつ深い真摯な愛が感じられて切ない場面です。

■実在した伝説の花魁「瀬川」

実際のところ、瀬川の名前の花魁で有名なのは初代(二代目という説も)・四代と、花の井の五代目だそうです。

伝説の花魁瀬川に関してはいろいろな逸話があります。

たとえば、初代はもともと医師の娘で、武士の家に嫁いだものの夫が盗賊に殺されてしまい生活に困窮。松葉屋に身を寄せることに。

その後、享保年間(1716~1736)に吉原で偶然夫を殺した敵と出会い、見事に仇討ちを成し遂げ遊里を去り、尼となって浅草の幡随院(ばんずいいん)に入り「自貞」と号した
……という話があります。


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「生写美人鏡」「瀬川」二代歌川国貞

そして、四代目瀬川は、宝暦年間(1751~1764)に吉原遊里で名を馳せました。

下総国小見川(現在の千葉県)出身で、誰もが振り返るほどの美貌の持ち主であったことはもちろん、書画、俳諧、さらには易学にまで精通していた才媛として知られています。豪商・江戸屋宗助に身請けされるも、28歳という若さで亡くなってしまいました。

ドラマはちょっと異なる設定のようですが、いずれにしても代々続いている花魁の名前を次ということは、生半可な覚悟ではできないでしょう。

ところで、蔦重に「花の井改瀬川」の書き付けを渡し、九郎助稲荷に蔦重版の吉原再見『籬の花』の大ヒットを願って手を合わせる花の井の指先が、きれいなピンク色に染まっていたのに気が付かれましたか?

以前も見かけたのですが、今回は手を合わせるところがアップになったので気がついた人も多かったようです。

この時代、武家公家商家の一部など上流階級の女性や、吉原の花魁などは紅爪と言う植物の花からつくられた紅を現代のネイルのように塗っておしゃれをする人もいたそうです。

シンプルに花の井がおしゃれだからと見ることもできますが、昔から「爪を染める」行為には願いが叶うようにと想いをこめるなどの意味もあったとか。

瀬川の名前を背負う覚悟を決め、蔦重の成功を願う花の井の気合いの入ったおしゃれなのかもしれません。

大河『べらぼう』で花魁・花の井が実在した「五代目 瀬川」を襲名!美しく男前…その魅力に迫る【後編】


ピンク色の爪 .photo-ac

■「まかせたぜ。 蔦の重三」

「吉原を何とかしたいと思ってんのはあんただけはない。だから礼には及ばねえ。けど…任せたぜ 蔦の重三。」の場面での花の井の男前ぶりに惚れたという声が続出しました。


サイズを刷新、情報量は妓楼から河岸の安見世まですべてを網羅、さらに花の井が五代目瀬川を襲名したというトピックスも盛り込まれた蔦重版の新吉原細見『籬の花』は大ヒットしたのでした。

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ちなみに「籬」とは、竹など木の材料で、隙間を広めにあけて作られた垣根のこと。そして遊郭で、遊女屋の入り口の土間と店の上がり口との間の格子戸のことも指します。
垣根の間からのぞく「花」はより美しくみえる……という意味合いもあったのでしょうか。

大河『べらぼう』で花魁・花の井が実在した「五代目 瀬川」を襲名!美しく男前…その魅力に迫る【後編】


『[新吉原細見]/籬乃花(安永4, 1775年)』(江戸東京博物館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100450858

蔦重のために花魁人生をかけた花の井。史実では「盲人の中での最高の位」を持つ鳥山検校(市原隼人)に、1400両(約1億四千万円相当)ほどのお金で身請けされ「鳥山瀬川事件」とまで呼ばれるほど江戸中で話題になります。

鳥山検校は瀬川を見受けした3年後に江戸幕府から財産を没収、江戸から追放。その後、瀬川がどうなったのかいろいろな説があるのですが、いずれも真偽のほどは明らかになっていません。ただその生涯から田螺金魚による戯作『契情買虎之巻』ができ、語り継がれるほどの伝説の花魁となりました。

大河『べらぼう』で花魁・花の井が実在した「五代目 瀬川」を襲名!美しく男前…その魅力に迫る【後編】


「任せたぜ 蔦の重三」と言って去っていく花の井 NHK「べらぼう」公式HP

聡明できっぷがよく純粋に蔦重を想う花の井。ドラマの予告ではすでに鳥山検校が登場しているので、身請けはされるのでしょうけれども、鳥山検校は江戸から追放される身。
せめてドラマの中では最後には蔦重と一緒に暮らし幸せをつかんで欲しい……と思っている人は多いのではないでしょうか。


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