大河「べらぼう」繁盛しても地獄の吉原。五代目・瀬川花魁(小芝風花)の運命を左右した3冊の本【前編】
そんな瀬川の心の支えは、幼い頃に蔦重からもらってボロボロになるまで何度も読んだ『塩売文太物語』という本でした。そして瀬川は、自分の運命を変えた盲人で金貸しの鳥山検校と出会います。

大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより
【後編】では瀬川と鳥山検校の距離が近づくきっかけとなった本、九郎助稲荷までが怒りの声をあげるほど鈍感すぎる蔦重と、「大きな勘違い」で彼が瀬川に贈った本の2冊のエピソードとともに、揺れる瀬川の心情と変わっていく運命をご紹介しましょう。

『籬の花』(1775年)蔦屋が出版した最初の吉原細見 wiki
■2冊目の本は「栄華は極めても儚きもの」という『金々先生栄花夢』
吉原では、位の高い花魁は客との「初会」は口をきかず眺めるだけというしきたりがあるものの、盲人の鳥山検校は瀬川の姿を眺めることはできません。そこで瀬川は彼がプレゼントしてくれた本の中から1冊を読んできかせようというもてなしを提案します。
「しきたりに反する」という鳥山検校に「花魁の姿を楽しむのが初会。『声』を楽しんでなんの罰がありましょう」と、実に機転の効いた男前な返事をします。
瀬川が手に取ったのは、蔦重の商売敵で偽版罪で処罰された鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)が新たに出版した青本(※)『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』で、作者・恋川春町は、狂歌師、黄表紙作者、浮世絵師として活躍した多才な人物でした。
※青本:表紙が青(もえぎ色)で浄瑠璃・歌舞伎・軍記物などを翻案・簡略化したもの。

目の見えない鳥山検校に本を読む瀬川花魁(NHK「べらぼう」公式HPより)
『金々先生栄花夢』のあらすじ片田舎に住んでいた金村屋金兵衛という貧乏な若者が、江戸で一花咲かせようと思い旅立ち、途中で目黒不動に立ち寄り門前の粟餅屋で粟餅を頼む。
ところが「今、餅を蒸している途中」といわれ待っている間にうとうとと寝てしまう。
ふと気がつくと、立派な駕籠を従えた裃姿の者が現れ、実は金兵衛は大金持ち泉屋清三の跡取りだと告げられる。屋敷に連れて行かれた金兵衛は跡取りになり、莫大な財産を手に入れ放蕩ざんまいの生活を楽しむように。
さらに、金目当ての周囲から「先生」「先生」と持ち上げられその気になり、遊郭遊びをするも徐々に資金も尽きてしまう。そして呆れた泉屋に勘当されて追い出される……というところで目が醒めるという内容です。
すべては夢の中の出来事だったのです。粟餅が蒸し上がるまでの短い時間に見た一攫千金で栄華を極めた(つもりになった)夢。金兵衛は江戸で一花咲かせても儚い夢のようなものだと悟り故郷に帰るという話です。
この話は「邯鄲の枕(かんたんのまくら)」という、唐の沈既済の小説『枕中記』(ちんちゅうき)の故事の一つのパロディ版といわれています。盧生という若者が粟粥を煮ている間に栄旺栄華を極める体験をするも、すべては夢幻であったことから、人の栄枯盛衰は所詮夢に過ぎない儚いものと悟るという内容です。
「金々先生」とは、金村屋金兵衛からとったもので、「金持ちで流行の先端をいく粋人」を指したそうですが、金はあっても似合わない衣装や髪型でいかにも通人気取りの半可通の客のことも揶揄していたそうです。
ドラマの中では『金々先生栄花夢』は「面白い!」と評判を呼びます。
それに対して、「吉原の妓楼主たちが対抗策を考えようとしてくれている、吉原を立て直そうとする仲間が増えた」と太鼓判を押す蔦重ですが、そこで瀬川の表情が複雑かつ哀しげに曇っていくことには気が付きません。
瀬川は「もうおめえの心配は無用だ」とでも言われているように感じたのでしょうか。

平賀源内の恋人・二代目瀬川菊之丞が演じる花魁「瀬川 路考」歌川豊国
そして「すべて瀬川のおかげ」と感謝しながら、お礼に『女重宝記(おんなちょうほうき)』という本をプレゼントします。
「お前にはとびきり幸せになってほしい。それこそ名のある武家の奥方やら商家のお内儀やらになってほしいんだよ。お前ならなれると思う。女郎は世間知らずが多いので身請け後に苦労すると聞くが、この本を読めば必要な知識はすべて身に付く」と、あまりにも無神経な説明を真剣にするのでした。
たぶん、その瞬間、全視聴者が「そうじゃない!」と総ツッコミを入れたことでしょう。
女性用の教訓書だった『女重宝記』『女重宝記(おんなちょうほうき)』とは、女性が日常生活に役立つ知識や身に付けておくべき教養などを、項目ごとにまとめて解説した百科事典風の書物でした。
女中万たしなみの巻・祝言の巻・懐妊の巻・諸芸の巻・女節用集字尽の巻などの五巻があり、いわば女性用の教訓書のようなものだったのです。
「この本を読めば大丈夫だ」と嬉しそうに説明する蔦重の、恐るべき鈍感力にはイライラした人が多かったでしょう。
「重三にとって、わっちは女郎なんだね……吉原に山といる救ってやりたい女郎の1人」と、表情を曇らせ声のトーンが悲しげになっていく瀬川の様子に気が付かないどころか、「そういう、いっぱいいる女郎の中でも特別に幸せになってほしい!」と、さらに絶望的な言葉を吐いてしまいます。
浮かんだ涙をこぼすまいと気丈に上を向いた瀬川は、「ばからしゅうありんす」と言いつつ受け取り「ありがとうござりんす。せいぜい読み込みいたしんす」と去っていきます。
今まで蔦重のために行動してきた瀬川の胸中を思うと、まさに胸が痛む場面でした。
瀬川が去っていった後、「あいつ怒ってたか?」と九郎狐(声:綾瀬はるか)に問いかける蔦重。あまりの鈍感さに「ば~か!ば~か!」と九郎狐が腹を立ててしまう始末でした。

蔦重に「ば~か!ば~か!」と怒る九郎助稲荷(ac-illust)
けれども、単純に蔦重が鈍感というだけではありません。幼い頃から吉原で育った若衆は、「女性はいずれ遊女になる存在。色恋の対象として絶対に見てはならぬ」という、いわば精神的な去勢をしていく吉原のシステムの残酷さが根本にあるでしょう。
しかも、本人は自然に「洗脳」されていくので、自覚もなく瀬川の想いにもまったく気が付かない……これにも吉原の残酷さを感じます。
ずっと瀬川の心意気やきっぷのよさに甘えてきた蔦重。瀬川に惚れた鳥山検校が当時第ニュースになるほどの大金を積んで身請けされるという事実をどう捉えどう動くのでしょうか。
史実では鳥山検校に身請けされた後に検校が逮捕され、その後の人生は不明になっている瀬川。せめてドラマの中では幸せになってほしいと、毎回思わされるのでした。
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