吉原では、瀬川を巡り「恋の徒花(あだばな)」がひっそりと4本咲きました。徒花とは「咲いても、決して実を結ばぬ花」「すぐに散るはかない花」のことです。
遊女の平均寿命は23歳ほどと短命だったように、恋の徒花は開いても咲き誇れない短い命でした。夜になると金で買われた偽りの花が百花繚乱となる吉原で、互いの想いが通じて咲きかけるも散っていった4本の徒花をご紹介します。
花魁道中の図 小林米珂 wiki
■恋を隠す遊女と恋を去勢された男に咲く徒花

五代目瀬川の花魁道中(NHK大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより)
1本目は、主人公・蔦重(横浜流星)と瀬川(旧・花の井)の間に咲いた徒花です。
幼い頃から蔦重を想い続けてきた瀬川は、彼が作った吉原細見『籬の花(まがきのはな)』をヒットさせるため松葉屋・五代目瀬川の名跡を襲名、お披露目の花魁道中を行いました。
本が売れて吉原に訪れる客は激増、それに伴い瀬川の指名は増え、休みもないまま客を取らされ続け、疲弊していきます。
体を張り支えてくれる瀬川の想いに、あまりもの鈍感な蔦重。腹を立てた人は多かったようです。けれども「女郎に手を出してはならぬ」と仕込まれて育った蔦重は、遊女に恋心を抱かぬよう精神的な去勢をされてきたようなもの。あっけらかんと「女を好きになったことがない」と語る蔦重には痛々しさすら感じます。
惚れた女が体を売るという現実に気が付くある日、蔦重は瀬川が盲人で金持ちの客・鳥山検校(市原隼人)と親しげにする姿を目撃してしまいます。
茶屋の軒先に座り瀬川を待っていた鳥山検校は、「お待たせいたしんした」と声をかけた彼女に「遅かりし由良助」と言い手を握ります。「御生害(ごしょうがい)には間に合いんしたようで」とにこやかに返す瀬川。そしてお互いに見つめ合い「ふふふ」と笑う二人でした。
「遅かりし由良助」は、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助(大石内蔵助がモデル)が主君の切腹に間に合わなかった場面のセリフで、待ちかねていた場合や、もう少し早ければ間に合ったときなどに使われます。
瀬川が来るのを楽しみにしていた検校のセリフも、瀬川の「切腹には間に合いましたでしょう」というセリフも実に気の効いたものでした。息の合ったやりとりに二人の相性の良さを感じます。

仮名手本忠臣蔵の 「大星由良之助」豊原国周
色恋に鈍感な蔦重でも、瀬川と鳥山検校の互いを思い遣る優しい仕草に、暖かい想いが流れていることを察知し「嫉妬」という感情が湧いたのだと思います。
そんなある日、鳥山検校から身請け話が持ち上がったことを聞き、さらに焦った蔦重は彼女を九郎稲荷に呼び出します。
けれどもストレートに「おまえが好きだ!」と切り出せず、まずはビジネス絡みで「おまえがいなくなれば吉原から客が離れる」から身請け話は断れと言い、瀬川に「自分勝手過ぎる」と責められます。当然でしょう。
自分を責める瀬川に慌てて焦ったのでしょうか。さらに「鳥山は悪どい金儲けをする人間だ」「この世のヒルみてえな連中だぞ!」と激しく罵倒してしまいます。
その言葉に、去ろうとしながら思わず振り返った瀬川は「あんただってわっちに吸い付くヒルじゃないか。同じヒルなら、まだよそ様に吸い付いてくれる方が!」と、怒り・哀しみ・絶望などさまざまな感情が籠った言葉を放ったのでした。

瀬川に謝る蔦重のイメージ(ac-illust)
蔦重は、ようやく素直に涙ながらに「俺が幸せにしたい」と心情を吐露し懇願します。その言葉に心を動かされた瀬川は、彼と一緒になることを決意し、身請け話を断るのでした。
元遊女だったからこそ悲惨な未来を見通せた女将ところが、海千山千の楼閣の女房、いね(水野美紀)は「瀬川と蔦重が何やら企てた」と察知します。二人の計画を阻止するために、瀬川に一晩に5人もの客を取らせるという無理を強要。昼間から客の相手をさせ、行為中の姿を覗かせあのときの「声」を蔦重を呼び寄せてわざと聞かせます。
吉原育ちの蔦重は聞き慣れた「声」のはず。けれども瀬川に惚れていることを自覚した後なので衝撃を受けます。遊女である限り客の相手をさせられ続ける現実を突きつけられたのです。松葉屋の主人・松葉屋半左衛門(正名僕蔵)に「年季があけるまで瀬川にあれを続けさせるつもりか?」と言われ引き下がるしかありませんでした。
いつのまにか、蔦重も「たとえ幼馴染の瀬川でも、大勢いる遊女の一人だから体を売るのは当たり前」という亡八思想に染まっていたのでしょうか。
遊女が体を売る残酷さが身に沁みた蔦重は、諦めずに吉原から抜けだすため通行切手を使う計画を立てます。

大門さえ出れれば自由の身に……新吉原夕暮れ透視図 歌川豊春
逃げたところで金がなきゃそこもまた地獄時を同じくして、恋仲になった松葉屋の遊女うつせみ(小野花梨)と浪人の小田新之助(井之脇海)が通行切手を使う手段で足抜けを試み、失敗するという事件が起こります。計画性のない恋の逃避行はあっという間に阻止され、新之助はボコボコに、うつせみは折檻を受けるのでした。
女将のイネは「逃げたところで金がない男は博打に溺れ、女は夜鷹になって稼がなきゃなきゃいけなくなる」といいます。イネも元遊女なので、男と逃亡したところで金が無ければ悲惨な未来しかないことを教えるのでした。
イネに「ここは不幸な場所だが、女郎でも人生を大きく変える瞬間がある。その背中を見せるのが『瀬川』という名前を背負うものの務めじゃないか」と言われた瀬川は、検校の身請けを受ける覚悟を決めます。遊女あがりの亡八ならではの、瀬川に対する思いやりなのかもしれません。
「こんなばからしい話を勧めてくれたこと、きっと一生忘れない」と通行切手を蔦重に返しながら静かに言う瀬川。やっと二人の間に咲こうとした一輪の恋の花も、あっという間に散ってしまったのでした。
以前、蔦重が刊行した花魁を「花」に見立てた『一目千本』のように、二人の間に咲こうとした哀しい徒花がどんな花か例えると、花言葉が「私を忘れないで」のワスレナグサ、「報われぬ恋」のスイセンが思い浮かびます。

「報われぬ恋」水仙の花(wiki)
■気遣いに心が通う検校と瀬川の間に咲いた徒花

瀬川花魁と鳥山検校(NHK「べらぼう」公式サイト)
2本目は、瀬川と客の鳥山検校の間に咲いた徒花です。
瀬川が疲弊し心が折れかけていた時に出会ったのが、盲人で金持ちの鳥山検校(とりやまけんぎょう/市原隼人)でした。
「検校」は名前ではなく役職名です。室町幕府から始まった盲人の組織「当道座」の最高位で、金貸しの資格も持っていました。
江戸幕府が盲人の保護や権利の保証に熱心だったのは、2代将軍徳川秀忠の生母・西郷の局(於愛の方/大河「どうする家康」で広瀬アリスが演じた)は、目が悪く同じ立場の人々を熱心に保護したということが影響していたそうです。
高利貸しを営み巨万の富を築いた鳥山検校は、高価そうな渋い色調の着物と羽織を分厚く重ね、金色の袴を着こなしていていかにも金持ちといった風格ある着こなし。彼は、花魁たちに本や双六などの土産を持参するような気遣いのある人物でした。
心身ともに疲弊し孤独を感じていた瀬川は遊女を見下さない鳥山検校に、安らぎを感じたのでしょう。自分の容姿で判断せずに人間性に好意を抱いてくれたのも嬉しかったのだと思います。出会ったばかりの二人の間には、ほんわかとした互いを思いやる新しい花が育ち始めたのでした。
堅実で穏やかな花が育つと思いきや3年で終わった徒花その後、安永4年(1775)、鳥山検校は1,400両(約1億8000万円)という破格の金額を支払い、瀬川を身請け。互いの人間性に惹かれた二人の間には、安定した生活にしっかりと根付いた花が育っていく……と思いきや、身請けからわずか3年後に関係は破綻します。
幕府は悪質な高利貸しの一斉摘発に乗り出し、鳥山検校も全財産を没収され江戸から追放されてしまったのです。
二人の間に咲いた徒花は、「君を忘れない」「追憶」「遠方にある人を思う」の花言葉を持つ紫苑のようなイメージがあります。
声のトーンで人の気持ちを察するほど鋭い検校は、身請けして自分のそばに置いたつもりの瀬川が「いつも心に中に蔦重の面影を抱いている」と、遠い人のように感じていたのではないでしょうか。江戸を追われてもずっと「君を忘れない」と想っていたと思います。

「君を忘れない」紫苑の花 wiki
残りの二輪は【後編】でご紹介しましょう。
【後編】の記事はこちら↓
大河『べらぼう』鳥山検校と五代目瀬川(小芝風花)の悲惨なその後…咲くも散りゆく4本の徒花【後編】

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan