人々の切実な願望を祈願した象徴「陰陽石」とは?奈良・水谷神社の「子授石」についての考察【前編】
【後編】では、「水谷(みずや)神社」の紹介と、そこにある陰陽石について考察しましょう。

水谷神社(撮影:高野晃彰)
■古来より病気平癒・子授けに御神徳がある神社
「水谷神社」は、聖流とされる水谷川沿いに鎮座し、素盞鳴命(スサノオノミコト)・大巳貴命(オオアナムチノミコト)・奇稲田姫(クシナダヒメ)を祭神として祀り、上水谷・中水谷・下水谷三社においては下社に相当します。

水谷神社の脇を流れる水谷川。夕暮れ前には木々の間から神秘的な日が差し込む(撮影:高野晃彰)
同社は、平安時代から幕末までの神仏習合時代は、祇園精舎の守護神で医薬の神として尊崇される牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていました。古くより霊験あらたかな神様として名高く、今も病気平癒や子授けを熱心に祈る人がみられます。
祇園精舎とは、釈迦が説法を行った場所で、その守護神・牛頭天王は別名・祇園天神と呼ばれ、有名な京都の八坂神社は幕末まで祇園社と称していました。
明治維新を迎え、政府による神仏分離政策により、同じ疫病除けの神ということで、牛頭天王と習合していた素盞鳴命に祭神が変更されたのです。

『本朝英雄傳』より「牛頭天王 稲田姫」歌川国輝 画(写真:Wikipedia)
「水谷神社」の例祭は、毎年4月5日に行われる鎮花祭です。この季節は、桜の開花の季節に当たり、牛頭天王の御神徳である疫病流行を鎮める祈りをこめて斎行されます。
祭の当日は神前に桜の花を献じ、神楽が奉納されとともに、午後からは祢宜座狂言も演じられ、普段は静かな同社も多くの参拝客で賑わうのです。
■子授け石・イブキの巨木を清浄な空気が包み込む
さて、このあたりで本題である「水谷神社」の「陰陽石」についてお話しを始めましょう。
同社の「陰陽石」は、社殿前の「子授石」と社殿下の磐座の二石あり、「子授石」が陰石、磐座が陽石とされます。

水谷神社の陰石「子授石」(撮影:高野晃彰)
陰石の「子授石」は誰が見てもそれとわかる女性器の形状で、「子宝に恵まれる」という霊験で知られます。
一方陽石は、社殿の土台基礎部分、井桁に組んだ土台の中央部に朱塗りの木材に押しつぶされるようにあり、漆喰で塗り固められています。それ故に原型はよくわかりませんが、磐座の上に男性器の形状の石を置いたのではないかとも推測されます。

水谷神社の陽石(撮影:高野晃彰)
この磐座を漆喰で塗り固めるという特異さは、全国の陰陽石信仰の中でもとても珍しいのではないでしょうか。ただ、春日大社本殿玉垣内にも同様に漆喰で固めた磐座があるとされますので、もしかしたら、春日大社特有の信仰のカタチなのかもしれません。この点においては、まだまだ分からないことが多く、考察を重ねる必要がありそうです。
「水谷神社」の瑞垣の隅には、ひときわ目を引くイブキの巨樹が伸びています。現地説明板によると幹周6. 55m・樹高12. 5mで、先端部分は枯死しており、全体的にもほとんど葉がない状況です。倒壊を防ぐためでしょうか、2本の金属製の柱で支えられています。

水谷神社に聳えるイブキの巨樹(撮影:高野晃彰)
実はこのイブキ、説明板によると「幹は空洞になっており、その中から杉が育ち、イブキの大きな幹が杉を抱え込む形になっている。 この不思議な関係のイブキと杉は古くから『水谷神社の宿り木』の名で知られている。』と記されています。
つまり、イブキの幹はすでに空洞になっていて、その中で杉が大きく育ち、その杉はイブキの幹に抱え込まれているということです。
このイブキこそ「子授石」に対して対を成す、陽木ではないかという説を唱える人もいるようです。自然物崇拝という意味では、石が樹木になってもなんら違和感がなく、かえってほぼ前に位置する「子授石」に向かい、そそり立っているように見えてくるから不思議です。
天気が良い日でも薄暗い、森の深緑の中に鎮座する朱色の社殿。そして、ひっそりと置かれた「陰陽石」、威厳あふれるイブキの巨樹。ここには、神社本来のもつ清浄な空気が流れる空間が存在します。

水谷神社(撮影:高野晃彰)
決して大きいとは言えない社殿に手を合わせれば、こころ癒され、精神の平安を取り戻してくれそう。いつ訪れても「水谷神社」は、そんな雰囲気に包まれています。
奈良に行く機会があれば、ぜひお参りしていただきたい「水谷神社」。必ずやこころ落ち着くひと時を過ごせるでしょう。
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