御あつらへ三色弁慶 歌川豊国(三代)画/
■「粋」と「月」
関西では、「粋」のことを「水」と書いていたそう。水のようにあっさりしている、という意味ですね。一方、野暮なことを「月」といい、ガチと読んでいました。遊郭で「ガチな客がきた」というのは、野暮な客が来たという意味になります。お金をどーんと出すわけでなくケチケチとしてるのに、少しでも長く遊女と時間を過ごそうとしたりと、下心がミエミエの客とでもいいましょうか。または、必死な感じで今でいうイタい感じを表します。
■「月」な客って?
遊女が別の男性と一緒にいるのにかかわらず、突然入りこんできて無茶な注文をしたり、遊女に嫌われる「月」なお客は少なくなかったようです。お客が帰ってから、遊女同士で「またあの人きてたの?」なんて話題になっていたのかも。
あまりにも無粋なお客には、遊女が座を立ってしまったり、「帰ってくれ」、「嫌われても結構来てくれなくてよろしい」と毅然とした態度をとることもあったそう。本当に大事なお客には、帰ってくれなんて絶対に言わないはず。
粋なふるまいは、床の中でも必要でした。遊女が横になったから、いきなりことを始めようとする客は月。
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■「粋」な生き方がいいね!
裕福でお金をたくさん落としてくれるだけではなく、スマートなふるまいができること、そして気遣いがさりげなくできることが求められたわけですね。生き方自体が「粋」でありたいと思っていたのです。

国芳もやう正札附現金男 野晒悟助 歌川国芳画
自分のことだけでいっぱいいっぱいになってまわりが見えなくなったら、それはもう野暮というもの。多少テンパっていても、余裕のあるごとく振る舞い、まわりにさりげなく気を遣えるような人。そういう人は、男女問わず、「粋だね」と言われていたのでしょう。今でも「粋」な人は、モテモテ間違いなし。
参考文献:彩色江戸の暮らし事典 双葉社
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan