答えは、ズバリ乳母です。江戸時代は、乳母は、赤子に乳を飲ませるために、半年または一年間の奉公にでるのが一般的でした。
■乳母に向いている女性のタイプ
当時、巨乳はいいとはされていませんでしたが、乳母に限っては別。赤子に存分に乳を与えてくれる重要な存在とあって、巨乳が重宝されていたのです。中でも素朴で頑強な女性が、乳母に向いていると言われていたそう。確かに身体が弱い女性が乳母だったら、乳の出がいいときと悪いときがあって、赤子の発育への影響が心配されます。
「鏡の前に母と子」喜多川歌麿
次ページ: 乳母は厚待遇!
■乳母は厚待遇!
乳母は、そこの家の女房と同じようにいい着物を着たり、食事面でも他の奉公人より優遇されたそう。自分の子供も一緒に奉公先に来ている、もしくは夫に預けてきた乳母は別手当が支給されました。給金面でも、なんとも恵まれた待遇だったのです。
職業としての乳母は、赤子と一緒に大股開きでの昼寝と、行儀が良いとは言えないこともありました。つまり、はしたないっていうやつですが、乳が出ればそれで充分とされていたんですね。

母乳は赤子にとって欠かせない栄養ですが、母親が赤子を残して命を落としてしまったときはどうしていたのでしょう。乳母を雇うことができない庶民は、同じ長屋や町内で乳児を育てている人にもらい乳をお願いしたり、まわりの女性たちと助けあっていました。
■母乳の意外な使い道
母乳は、意外なことでも使われていたとか。なんと、目にゴミが入ったときや、目を突いてしまったときに、目薬の代用として女性の母乳を用いることもあったのです。惚れていた男が、目を突いてしまったので乳をさしてほしいと頼みにきて、女性が乳をさしてあげたという話は、男性からしてみたらなんとも羨ましい話ですね、きっと。それにしても、太っ腹な女性というかサービスっぷりがすごいですよね。
母乳点眼は最近まで一般的に使用されていて、現在でも赤ちゃんの目やにの改善によいと言われています。
参考文献:江戸で暮らす 新人物往来社
画像出典:photoAC Public Domain Museum of Art
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan