買い物に行かなくても、家のそばまで売りに来てくれる店があったら、とても便利ですよね。八百屋さんや魚屋さんがお得意先の家を回るのは昔からありましたが、最近ではスーパーやコンビニまでもが、車などを使って移動販売をするようになりました。


そうした販売方法は現代になってから、商店の少ない住宅街や過疎地などに行くために生まれたと考えられがちですが、江戸時代の都市部では「棒手振り」という移動販売が生まれ、重宝がられていたのです。

■独身男性のご飯は、棒手振りにお任せ!

人口密度が世界一だった江戸には数多くの男性労働者がいましたが、大半が出稼ぎや単身赴任者、ないしは独身者でした。つまり、家族やお手伝いさんなどに家事をしてもらえる男性はなかなかおらず、調理済み食品の需要が高まっていたのです。

そこで不可欠だったのが、棒手振りでした。彼らは店舗を持たず、天秤棒の両脇に商品を吊り下げて売り歩けるのが利点です。そのため、棒手振り商人は庶民の住む長屋や、下級武士の住まいなどを主な商売の場所にしていました。

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歌川広重『東海道五拾三次 日本橋 朝の景』

独身の男性にとって、ご飯のおかずやその原料である生鮮食品を家の前まで売りに来てくれる棒手振りは、有り難い存在であると同時に朝の慣例となります。

『納豆と しじみに朝寝 起こされる』

和朝食のレパートリーであるシジミ汁と納豆は江戸期から健在であり、納豆屋さんと貝を売る魚屋さんが重宝されていました。

この川柳では、棒手振りの売り声に朝寝を邪魔されたとぼやいており、「なっと、なっとー。叩きなっとー」「しじみよー、しじみよー」と、決まった時間帯に声を発して売り込んでいたため、少々うるさいが時報を知らせる人として親しまれてもいたようですね。

■社会福祉事業の役割も?

ひと口に棒手振りと言っても生鮮食品だけでなく、様々な食品や道具類を売り歩いたり、時には修繕や不用品の買取などの出前サービスもしており、様々な職種の人がいました。

まさに移動式スーパー!江戸時代の移動販売「棒手振り」には社会福祉の役割もあった


歌川広重『新撰江戸名所 日本橋雪晴ノ図』

また、棒手振りは江戸時代を扱った時代劇や落語などでは、いなせな男性が売り歩いている印象はありますが、本来は15歳以下の子供や50歳を超えた年配者、身体障碍者など社会的な弱者を救済するために幕府が認可した仕事でした。


しかし、残された絵などには子供や老人には見えない人もいますし、おでん屋さんから鈴虫を売り歩く商人になった人もいたりと、抜け道もかなり多かったと思われます。事実、江戸庶民が棒手振りを当てにしていたため、幕府もうるさく取り締まらなかったのでしょう。

街の名物にもなる移動式スーパーである棒手振りの背景には、江戸に多かった労働者による需要に応えるだけでなく、幕府による社会福祉事業としての役割もあったのです。

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