■遊女デビューのタイミング

吉原には、幼いころに妓楼に売られた子・禿(かむろ)もいます。彼女たちは見習いの身分で、花魁の下で雑用をしながら遊女としての躾を受けるのです。
そして15、16歳の頃に新造(下級遊女)となり、初めて客をとるのですが、正確に何歳で新造になるかは決まっておらず、そのタイミングは初潮次第でした。

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鳥居清峯「新吉原江戸町二丁目 佐野升屋内 御代春」

初潮がきたら、まず「水揚げ」という儀式を行います。いわゆる処女の破瓜(はか)ですね。たとえ楼主であっても、水揚げをすることはありませんでした。また、経験の浅い若い男が水揚げをするのも、新造の未発達な局部を傷つけて、しばらく客をとれない状態になる危険性があるといわれたそう。

では、水揚げをするのにどんな人が適役かというと、40歳以上の気心しれた常連客だったのです。当時の40歳というと初老で、「40以上ならたとえたったとしても、どこかやわらかでふうわりするだろう」と言われていました。ほどよく歳を重ねている方が性経験も豊かで、新造を痛めることもないだろうと信頼されていたのです。

■処女との性交への憧れ

ちなみに処女のことを、江戸ことばでは「新鉢(あらばち)」。処女との性交は、「新鉢を割る」と言われたそう。艶本に「新鉢を割る」場面が多かったことからも、新鉢を割ることへの憧れがあったのでしょう。新鉢について描かれているものには、女性がはじめは痛がっているものの、徐々に娘も快感を覚えるというパターンが多いのだとか。
これは、男性の「こうあってほしい」という願望のあらわれだったのかもしれません。

当たり前のことですが、1人の女性の新鉢を割ることができるのは、ただ1人。自分がその1人になるということにも、ロマンというか興奮する気持ちがあるのかもしれませんね。

ロマンといえば、艶本での処女は名器の持ち主というのがお決まりだったそうで。男性の立場で書かれたものが大半の中、「女閨訓」(明治39年)のように女性の立場で初夜を論じているものも。この作者の女性は性経験が豊富で、これからの女はこうあるべきだと力強く語っています。機会があったら、艶本をぜひ手にとってみてくださいね。新鉢に対する興奮が伝わってきます。

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