徳川家康が粗末な江戸城に入城したのは、江戸のポテンシャルに気づいたから?
1603年に江戸幕府を開府、江戸城を幕府の本城とした家康は江戸城の工事をするにあたり誰かに遠慮する必要もなく、全国の大名に命じて天下一の城を作ることに取り掛かりました。つまり、天下普請(てんかぶしん)ですね。
1604年、幕府は江戸城の大構築計画を発表し、いよいよ大工事の始まりです。石垣を築く土木工事には、かつて豊臣家に仕えていた外様大名の池田輝政(姫路)、福島正則(広島)、加藤清正(熊本)、黒田長政(福岡)などが任命されました。
■見事なチームプレイで石運び
江戸城を築くために、大量の石材の調達が必要となりました。大名たちは石を運ぶために、それぞれ300~400艘もの石船を準備しなければいけませんでした。この仕事は2年がかりにもなったそうで、これだけでもひと苦労です。採石場では、石工が金槌とノミで穴を掘って崖から石を切り出し数トンの大きさにします。それを人夫が修羅というソリにのせて、海岸まで運んでから、石船に積み込んだそうです。
ときには悪天候のこともありました。慶長11(1606)年、海が時化て、佐賀藩主・鍋島勝茂の石船は120艘も沈没、このほかにも加藤嘉明の船が46艘、黒田長政は30艘もの船が沈没したそうです。危険が伴う、命をかけての仕事だったのですね。
歌川広重「東都名所之内 鉄砲州佃真景」
■大量の木材を運ぶ方法は?
工事には大量の木材も欠かせません。良質の檜の大材があることで有名だったのは木曽谷の大山林。他にも利根川上流の関東北部の山岳地帯などから木材を運びだすのですが、重機やトラックもない江戸時代に、いったいどのように運搬したのでしょうか?
まず必要な寸法の木を見つけてから、その木を根伐りして形を均一にします。そして谷に寄せ集めて、川筋に引き出すのです。小谷(渓流)まで運ばれた木材を、水の流れを使って木曽川本流まで運び出す方法を小谷狩りと呼びました。次から次へと木が木曽川本流に向かって流れていく様子は、きっと圧巻の一言だったでしょう。
木曽川上流には運ばれた材木が流れてしまわないよう、網場といって網が張ってありました。到着した材木を寸法の似ているものに分けたら、筏にして伊勢湾まで川下りさせます。
なにしろ、江戸城に使う木材です。スケールがすごく、数千人の人夫を使っても伊勢湾口まで運びだすのも大変でした。江戸湊まで回送するのに一年がかりだったとか。
ようやく江戸湊に石や材木が到着したら、今度は江戸町中での陸上を運搬します。
参考文献:内藤昌(2010)『新装版 江戸の町(上)』草思社.
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