吉原に通う人がいる一方で、陰間茶屋に通う人もいました。陰間というのは男娼のことで、陰間がいる茶屋は陰間茶屋または野郎屋と呼ばれることも。
全国各地にありましたが、その中でも有名だったのは芳町です。宝暦(1751~64)には芳町には100人あまりの陰間がおり、宝暦・明和の頃は男色隆盛期とも言われるほどの人気ぶり。

■陰間茶屋はどんな感じ?

男娼がいる江戸時代の「陰間茶屋」客は男性だけではなく女性にも...の画像はこちら >>


客に呼ばれると、陰間は吉原と同じように陰間茶屋まで道中を行きます。このときに編笠をかぶるのですが、女髷に結っているため編笠をすっぽりと奥までかぶることができず。編笠を手で押さえながら、髷をつぶさないようにしつつ、顔も隠すので、なかなか大変です。

陰間茶屋では、ちょんの間が基本。線香をたてて尽きるまでが目安なので、おおよそ40~60分でしょうか。揚代は吉原遊郭の高級女郎並みで、なかなか高価な遊びですね。主なお客は僧侶でした。男色は自由なので、こそこそせず僧衣のまま通うことができるのです。男相手が専門とはいえど、女性客も多くその大半が大奥の女中でした。

■大奥の女中にも人気!陰間茶屋

男娼がいる江戸時代の「陰間茶屋」客は男性だけではなく女性にも人気だった?


大奥の女中たちは、たまに城の外に出掛ける用事があるときや芝居見物に出かけるとき、チャンスとばかりに陰間茶屋に行ったようです。
用事はさっさとすませて芝居もはやめに切り上げ、陰間茶屋が真の外出の目的だったのかも?

大奥の女性たちは自慰はするものの、男性経験はほとんどなし。後腐れがなく、その場限りの陰間茶屋は、彼女たちにとって絶好の遊びだったのでしょう。男娼は客あしらいが上手く、自分を買った女に不満を残すことがないよう接客するので、女も大満足。男娼じゃないと満足できなくなってしまうのかもしれませんね。そして、陰間の優雅な外見に不釣り合いなほどに、太くて逞しいものを目にしてそのギャップに驚いてしまう女も多かったようです。中にはあまりにそのギャップがショックで、陰間買いをやめてしまった女もいるほど。

男性客だけでなく女性客をも夢中にさせた陰間は、覚えるべきこと我慢することもたくさんあったわけですね。

参考文献:お江戸吉原草紙 原書房、江戸の売春 河出新房新社、江戸の艶本と艶句を愉しむ 三樹書房

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