■幻術、冒険、転生…原典となった中国文学も奇想天外だった
『杜子春』の元ネタになったのは中国の唐代に書かれた様々なお話を集めた『唐代伝奇』と呼ばれるジャンルの作品で、その中に収録されている『杜子春傳』と言う物語です。それは、以下のようなあらすじになります。
北周から隋の時代の長安に住んでいた不真面目な青年・杜子春(要するにニートですね)は、親戚や知人に嫌われて生活に困った時、華山の道士(道教の僧)に出会って3度も現金による援助を受け、富貴な身になります。その恩義に報いようと杜子春が道士に協力を申し出たところ、「これから起こる事は幻覚だから、何があっても黙っていなさい」と言われ、怪物などに襲われても沈黙を貫き、最後は地獄へ連れ込まれます。
地獄で美女に転生させられた後にも口をきかなかったため、怒った夫に自分の子供を殺された杜子春は、思わず声を出したために幻術は破れ、仙人の修行は台無しになります。愛情を捨て切れなかったばかりに道士への恩返しに失敗した杜子春は現世で暮らしつつも、約束を破ったことを恥じて悔いたのでした。
■愛情か約束か…芥川小説で大幅に変わった物語の結末
このように、舞台になった地名や時代は異なりますが『杜子春』の大筋は大差なく、不思議な老人を慕った若者が仙人修行をするが、肉親の情愛に心を動かされて失敗するストーリーに変わりありません。一方、『黄金の塊を掘る』『薄情な人界に辟易した』『両親が馬にされる』話は、原典にはない芥川版のオリジナルです。
最も異なるのは物語の結末で、原作では一門を繁栄させるほどの富を得たが、約束に背いたのを後悔し続けるバッドエンドです。一見すればドライではありますが、儒教に裏打ちされた信義、契約を重んじた価値観が存在した古代中国らしい教訓とも言えますね。
対して芥川版では馬にされた両親、特に母が拷問されても自分をかばったのを見た杜子春は『お母さん』と叫んでしまい、仙人になれなかったのを悔いるどころか喜びます。鉄冠子も満足し、人間らしく正直に生きたいと決意した杜子春を祝福して家と田畑を贈ります。
こうした終わり方になった理由については様々な見解や解釈があり、掲載された雑誌『赤い鳥』が児童向けだったからとも、幼くして母を亡くした作者の子供時代が影響しているとも言われます。いずれにしても大正期の我が国で活躍した青年文豪によって、無味乾燥で固い漢文学が、人間とは何かを改めて考えさせてくれる名作に生まれ変わったことに変わりはないのです。
芥川龍之介
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