今回は前編に引き続き、未だ謎の多い西郷の遠島時代の妻、愛加那(あいかな)についてご紹介します。

自殺未遂で心を病んだ西郷隆盛が愛した流刑地の妻、愛加那 [前編]

■子供との別れ、そして晩年

奄美大島に戻り、女手ひとつで2人の子を育てていた愛加那ですが、数年後、ついに約束の時がやってきます。
息子の菊次郎が9歳の時、西郷が新しく娶った本妻・糸子のいる鹿児島本土の家に引き取られていったのです。愛加那は覚悟の上とはいえ、女性として、母として複雑な心境だった事でしょう。そして数年後には菊次郎の妹・菊草も同じように糸子の住む家に引き取られていくのです。

菊次郎はその後幾度か奄美大島に滞在する機会があり、愛加那は息子と再会する事が叶いましたが、娘の菊草とは、島を出たきり今生の別れとなりました。時に愛加那40歳、菊草14歳。

自殺未遂で心を病んだ西郷隆盛が愛した流刑地の妻、愛加那 [後...の画像はこちら >>


子供たちが本土へ行ってしまった後も、愛加那は本土渡航をする事なく、奄美大島で西郷に建ててもらった家を大切に守っていました。西郷亡き後も再婚はせず、屋敷の庭に西郷南洲謫居跡の石碑を建てた際には式典に参加するなど、晩年も西郷を思い続けました。
明るく気丈な女性で、1人になった寂しさにも負けず、66歳で亡くなる直前まで畑で元気に働いていたと伝わります。

■子供たちのその後

さて、西郷と愛加那の2人の子宝はその後どうなったのでしょう。菊次郎は1年半ほど鹿児島に滞在したのち西郷に従って東京に上京。その後は米国留学などの経験を積み、17歳の時西南戦争で父とともに戦います。

激戦で片足を切断するも命は助かり、やがて明治の英雄・西郷の息子として外務省に迎えられます。
留学経験を活かした海外勤務などを経て、やがて京都市長に就任。この厚待遇の裏には、明治天皇が「西郷の遺族はどうしているか」と気にかけたからという驚くべき説もあります。また、菊次郎は子沢山で、7男7女に恵まれ、その1人が奄美大島に立派な愛加那の墓石を建立したそうです。

自殺未遂で心を病んだ西郷隆盛が愛した流刑地の妻、愛加那 [後編]
西郷菊次郎 Wikipediaより

また、妹の菊草は菊子と名を改め、大山巌の弟である大山誠之助の妻になりました。2人の子を儲けるも、あまり夫婦関係は上手くいかなかったようで、晩年は兄の菊次郎の元に身を寄せたといいます。兄妹は力を合わせ、父が打ち建てた明治の世を力強く生き抜いたのです。

【参考文献】

  • 西郷隆盛全集編集委員会「西郷隆盛全集」1~5巻 大和書房
  • 潮田聡/木原三郎「西郷のアンゴ(島妻)愛加那」みずうみ書房
  • 「西郷隆盛完全ガイド」晋遊舎
イラスト:筆者

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