横綱の奉納土俵入り。神社や行事などで横綱が土俵入りを披露することをいい、毎年恒例の場所で行われることも多く、新春や巡業地では風物詩の一つのようになっています。
しかし、新横綱になったとき一度だけしか奉納土俵入りしない神社があるのはご存じですか?
それが、野見宿禰(のみのすくね)神社。東京都墨田区と兵庫県たつの市の2ヶ所に同名の神社がありますが、奉納土俵入りが行われるのは、両国国技館の近くに位置する野見宿禰神社です。
現在では関係者以外立ち入り禁止となっており、新横綱が土俵入りするときのみ一般にも開放されます。しかし大勢の観客が訪れる明治神宮などとは違い、日時などは公開されておりませんので、関係者以外はなかなか知ることが難しく、広くはない境内は、親方衆や露払いと太刀持ちなど関係者だけでいっぱいになります。まさに知る人ぞ知る儀式といえますね。
■相撲の神「野見宿禰」
野見宿禰は『日本書紀』に登場する出雲国の勇士で、大和の勇士・当麻蹴速と戦って踏み殺し、天皇から当麻の土地をもらったという伝説の人物で、そこから相撲の神として祀られるようになりました。
相撲の神とされる野見宿禰ですが、日本書紀に記されている戦いの様子は今の相撲とは大分様子が違うようです。何でもありのデスマッチというところでしょうか。
東京都墨田区の野見宿禰神社では、六本木にある出雲大社東京分祠の神職が来られて祭事を執り行います。出雲大社東京分祠は都内唯一の分祠であり、明治31年にいち早く神前結婚式を執り行った神社でもあります。
野見宿禰神社境内の歴代横綱碑

野見宿禰(月岡芳年『芳年武者无類』より)
■新横綱だけの行事は富岡八幡宮でも
新横綱は富岡八幡宮で「刻名奉告祭」も行います。
東京都江東区富岡にある富岡八幡宮は、貞享元年(1684年)に寺社奉行の許しを得て、初めて江戸で勧進相撲が行われた神社として知られます。新横綱はここで奉納土俵入りをしたあと、横綱力士碑に自分の名を刻みます。
この力士碑は明治33年、第12代横綱陣幕久五郎が発起人になり建立されました。初代横綱の明石志賀之助から歴代の横綱の名が刻まれているので場所が足りなくなり、現在の横綱の名は副碑の裏面に記されます。
新横綱の土俵入りは、野見宿禰神社で最初の東京の本場所が始まる前、富岡八幡宮ではその後で行うのが慣例のようです。
新横綱として生涯でたった一度の土俵入り。遠い道のりかもしれませんが、好きな力士が横綱になった暁には是非足を運んでみてください。相撲通と言われること間違いなしです。

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