日本で初めて自画像撮影に成功したのは薩摩藩の名君、島津斉彬(しまづ なりあきら)です。彼は安政4(1857)年にダゲレオタイプという方法で撮影に成功しました。
こちらが島津斉彬の日本最古のセルフ・ポートレートです。
その後、コロジオン湿板写真法という5~15秒で撮影できる方法が発明されると爆発的に世界に広まり、幕末の日本にもその技術は流入しました。ちなみに、当時の湿板カメラはこんなに大きなカメラでした。
当時の湿板カメラ Wikipediaより
■日本の元祖カメラ小僧はお殿様
そんな中、コロジオン湿板写真と運命的に出会い、魅了されてしまったお殿様がいました。彼の名は、徳川慶勝(とくがわ よしかつ)。西郷どんとともに、ある英断を下した14代尾張藩主です。今回は、元祖カメラ小僧である彼をクローズアップします。
画像:徳川慶勝 Wikipediaより
■慶勝、自撮りに成功する
幕末、開国の影響で日本に伝わった湿板カメラでの写真撮影技術。しかしカメラは今と違い大変貴重なものである上、撮影から現像まで全ての工程を自分で行わなくてはならず、庶民が趣味にするにはお金と手間のかかりすぎるものでした。カメラはもちろん、現像液や現像作業のための暗い部屋も必要だったわけですが、その全てを問題なく用意できたのは、裕福な徳川尾張藩の藩主・慶勝だったからこそでした。
慶勝が最初に撮影に成功したのは文久元年(1861)9月の事でした。
しかし、そこで終わらないのが慶勝なのです。現像したその記念すべき初セルフィーを眺め、「盛れてねえーーーー!」と言ったかどうかは分かりませんが、どうやら気に入らなかったらしく、全く同じ構図で翌年に撮り直した写真がこちら。
画像:徳川慶勝Wikipedia
2度目の撮影、今度は気に入ったようです。
この成功ですっかり自信を付けた慶勝。「次は弟たちを撮ってみよう!」というわけで、続いて被写体となったのは彼の弟たちでした。
画像:左から徳川茂徳、松平定敬。Wikipediaより
「え、何?カメラ?何それ兄さん大丈夫?」聞いた事もないカメラという不思議な形の箱で兄に撮影され、心なしか不安そうな弟たちの顔が笑いを誘います。ちなみに慶勝の弟たちは有名な人物が多く、9代会津藩主・松平容保、13代桑名藩主・松平定敬は慶勝の弟でした。
その後も自らの居住地である名古屋城を撮影し続けた慶勝。名古屋城は1945年の名古屋大空襲で大部分が焼失してしまいましたが、慶勝が撮影していたために往時の名古屋城内部の様子が現代まで伝わっています。
画像:慶勝撮影・名古屋城 Wikipediaより
絵・筆者
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