3月3日は雛まつりでしたが、雛人形のお片付けは終わりましたか?ひな祭りと言えば、豪華な平安貴族の装束を見にまとった「ひな人形」が思い浮かびます。「女雛」こと「おひなさま」や三人官女の着ている十二単は、そんな平安時代を象徴するような衣装です。
今回は、気になる十二単の秘密をちょっとだけ覗いてみましょう。
■本当に12枚重ねていたの?
「十二単」というくらいだから、着物を12枚重ねていたのかな?と想像する方も多いでしょう。実際はどうだったのでしょうか?実は十二単はその名前のイメージとは違い、身に着けるものの数はそれほど多くはありませんでした。
着る順番としては、
- 素肌に「長袴」を履く
- 肌着である「単衣(ひとえ)」を着る
- 「五衣(いつつぎぬ)」を5枚~重ねる
- 「表着(うはぎ・うわぎ)」を重ねる
- 正装に欠かせない「唐衣(からぎぬ)」と「裳(も)」を着ける
- となり、「表着」の下に「打衣(うちぎぬ)」を着ることもありました。
- 「単衣」「五衣」「打衣」「表着」は、全て「袿(うちき)」と呼ばれる同じ形の着物でしたが、「単衣」は裄・丈が他の袿より長く大きめに仕立てられ、逆に「表衣」は「五衣」の襲(かさね)のグラデーションを見せるために、少し小さめに仕立てられていました。
「十二単」という俗称は、「たくさんの着物を重ねている様子」と「重ねた着物の鮮やかさと豊かさ」を表現するために、ゴロの良い「12」という数字が使われるようになり、それが一般的になったものと言われています。
■着方はユルいけれど、色のセンスがないのはNG!?
さて、現代の「十二単着付け体験」などではかなり手間がかかる十二単の着付けも、当時の人たちの感覚だと「重ねたものをそのまま着脱」という、かなりユルい感覚のものだったようです。
「おひな様」のように、長袴の下に肌着として白の小袖を着るという着付け方は後世になってからのもので、十二単が考案されたばかりの平安時代は、素肌に直接長袴を履いた上に単衣や五衣を重ねていたのです。
そのため『源氏物語』などを見ると、女性が重ねた着物をそのまま脱ぎ捨て、源氏から逃れようとする様子が描かれています。
ただし十二単の袖口や襟元から見えたり、薄物から透けて見えたりする「襲(かさね)」の色目には、季節や行事などによって多種多様な組み合わせの決まりがあり、これを無視していると「センスがない」とされてしまいました。
平安時代の女性貴族たちも現代と同じように、ファッションセンスが重要だったようですね。
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