■同じ兄弟でもこんなに違った個性が!平安時代の兄弟歌人

同じ親から生まれた兄弟なのに、性格や考え方、個性などが「別人!?」と思われるほど違っていることは、昔も今もよくあります。例えば、かつて「若貴フィーバー」で人気をさらった大相撲の若貴兄弟の性格は、正反対と言って良いほど逆だったということが、兄である花田虎上氏や兄弟の母の口から語られています。
相撲の取り口も、力士人生も、全く違っていましたよね。

さて、こんなに個性が違う!という兄弟は、平安時代の有名歌人にも存在しました。今回は『小倉百人一首』に歌を取り上げられている有名な兄弟歌人に注目してみましょう。

■迷い猫が帰ってくるおまじないで知られる中納言・在原行平

在原行平は、弘仁9(818)年に平城天皇の皇子・阿保親王の第2子として誕生し、天長3(826)年に「在原」という姓を賜って臣籍降下しました。彼は政治手腕のある人で順調に出世を果たし、元慶6(882)年に正三位・中納言に昇進したため、百人一首では「中納言行平」と呼ばれています。

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(画像出典:在原行平/Wikipedia)

百人一首に取り上げられている

立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今かへりこむ
(今こうしてあなたと別れて行っても、因幡(いなば)の国の稲羽山の峰に生えている松(まつ)の木のようにあなたが私を待っていると聞いたなら、すぐに帰ってきましょう)

という歌は、そんな行平が斉衡2(855)年に従四位下・因幡守に任じられて下向する際に、京の人々に向かって詠んだ別れを惜しむ歌です。実はこの歌は、迷い猫が帰ってくるおまじないとしても知られています。

自身もたくさんの猫を飼育した経験のある漫画家のセツコ・山田氏による『一丁目のトラ吉(リイド社)』第6巻によると、猫の出入り口に猫の食器を伏せ、この歌を書いた紙を貼っておくとのこと。

行平が猫好きだったのかどうかは、残念ながら分かりません。でも飼い主が帰りを待っていると聞いたなら、猫にはぜひともこの歌のようにすぐに帰ってきて欲しいものですね。

■『伊勢物語』の主役!?色好みの貴公子の先駆者的存在だった在原業平

在原業平は阿保親王の第5子で、天長3(826)年に兄の行平と同じように「在原」の姓を賜って臣籍降下しました。百人一首では「在原業平朝臣」とされていますが、最終的な官位が右近衛権中将だったことから、「在五中将」とも呼ばれました。


有名な兄弟歌人に注目!イケメン色好みな名歌人・在原業平と手腕をふるった政治家・在原行平
(画像出典:在原業平(狩野探幽『三十六歌仙額』)/WIikipedia)

業平と言えば、政治的な実績以上に容姿端麗・詩人肌で、華やかな恋愛でも知られています。そのため『伊勢物語』の「男」のモデルであるとも、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの1人であるとも言われてきました。また歌人としても名高く、『古今和歌集』の撰者・紀貫之により「六歌仙」の1人に選ばれています。

百人一首に取り上げられた

千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれないに 水くくるとは
(不思議なことが多かったという神代の昔にも聞いたことがない。この竜田川一面に散った紅葉が、川の水を真っ赤にくくり(絞り)染めにするなんて)

という歌は、豪華な屏風に描かれた紅葉を見て詠まれた歌で、初出の『古今集』の他に『伊勢物語』第106段にも登場しています。

参考文献
  • ジュニア版・日本の古典文学「百人一首物語」。発行:偕成社
  • 竹取物語・伊勢物語。著者:田辺聖子、発行:集英社
  • 一丁目のトラ吉/第6巻。著者:セツコ・山田、発行:リイド社

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