以前、2種類の横綱土俵入りをご紹介しました。2018年6月現在、横綱・鶴竜と稀勢の里が雲竜型、横綱・白鵬が不知火型と、両方の型の横綱が揃っています。
雲竜型の土俵入り/JR小岩駅
ところで、歴代最も短命に終わった横綱・前田山と2位タイの三重ノ海が、 揃って雲龍型だったのをご存知でしょうか?
にもかかわらず、雲竜型ではなく不知火型の方に「短命横綱になる」「不吉」というジンクスが囁かれています。
なぜこうなったのでしょうか?
■「短命ジンクス」の由来
不知火型のジンクスの由来と言われるものには、
- 明治初期に活躍した大阪相撲の「不知火」という横綱が、あまりの強さ故に妬まれて殺されため、呪われた
- 「攻撃のみの不知火型の土俵入りは邪道だ」という考えが広まり、あえて不知火型を選択しようとする横綱があまり多く現れなかった
しかし「不知火型は短命になる」「不知火型は不吉」とはっきりと語られるようになったきっかけは、1971年10月11日に横綱・玉の海が27歳という若さで亡くなったことの影響も大きいでしょう。

1959年に初土俵を踏んだ玉の海は、1970年に、2018年現在も大相撲の解説などで活躍中の北の富士勝昭さんと共に横綱となりました。この時、北の富士が雲竜型、玉の海が不知火型を選択しています。
北の富士とは「北さん」「島ちゃん(横綱昇進前の玉の海の四股名「玉乃島」にちなんで)」と呼び合う仲で、ライバルであり友達でもあるという関係でした。
同時に昇進した2人の横綱が、お互い切磋琢磨しながら活躍したこの時代は「北玉時代」と呼ばれることもありました。
■期待されていたのに…現役中に死亡した不知火型の横綱
横綱昇進時の審議委員会の評価は北の富士を上回り「大横綱・双葉山の再来か!?」とまで期待されていた玉の海。
しかし1971年7月場所で全勝優勝した前後に、彼は虫垂炎を患います。
虫垂炎と言えば、まず思い浮かぶ症状は「尋常ではない激しい腹痛」。横綱としての責任感が強かった玉の海は、注射で散らしながら9月場所と10月の大鵬の引退相撲に強行出場し、その後手術のため入院しました。虫垂炎は既に腹膜炎寸前まで進行した危険な状態でしたが、手術は無事に成功し、術後の経過も順調でした。
しかし退院を翌日に控えた10月11日の早朝に容態が急変、そのまま亡くなってしまいます。死因は、手術後に併発した肺血栓症でした。

不知火型の土俵入り/両国の国技館通り
「現役横綱が死亡」の突然の知らせに、日本中の誰もがショックを受けました。最大のライバルだった北の富士は巡業先で彼の訃報を聞き、最初は信じられずに「ふざけるのもいい加減にしろ!」と怒りましたが、その後人目もはばからずに号泣したといいます。
■「不知火型短命ジンクス」は破られつつある!?
その後何人もの横綱が、不知火型の継承・保存のため敢えてこの型を選びましたが、高齢で横綱になった力士が多かったこともあり、その多くが実際に短命で終わりました。また「部屋内でのトラブルで脱走」という前代未聞の不祥事で廃業した横綱・双羽黒が不知火型だったことも、大きなマイナスイメージとなりました。
しかし不知火型の横綱・白鵬は、幕内最高優勝回数・横綱在位記録共に歴代トップ(2018年現在)、その他にも輝かしい記録を次々と打ち立て「大横綱」と呼ぶにふさわしい活躍を見せ続けています。彼が引退した時に「短命横綱」と言える人は、誰もいないでしょう。
「不知火型ジンクス」は、破られつつあると言っても過言ではありませんね。
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