1700年頃の日本で、東インド会社の人間(海外の人)が街道上を気軽に旅をする人々の様子を見て驚いたという記録があります。

数キロ置きに宿場が整理され、旅行者の野宿や行き倒れなどはほとんどなく、旅の途中、追剥によって命を奪われるといった凶悪事件もほぼ無かった時代ではありましたが、完全に平和だったかというと、決してそうでもありません。


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歌川広重「東海道五十三次之内 吉原」

軽犯罪や違法行為は日常茶飯事で、1802年に出版された旅行の指南書とも言えるベストセラー滑稽本『東海道中膝栗毛』の中でも犯罪行為などに対して注意を促していたりします。

現代から見たら完全な犯罪行為であっても、昔の価値観で考えると、”当たり前のこと”、”日常的なしょうがないこと”として片付けられていたのかもしれません。

そんな旅行に関する裏事情をいくつか紹介します。

■現代には無い江戸時代のぼったくりタクシー

まず目立ったのが、駕籠かき、馬方、船頭による、ぼったくり行為で、「安いよ」と客を誘い、運賃の他に酒手(さかて)と呼ばれる酒代を脅迫同然の手口で請求して客と揉める事は日常茶飯事でした。いわゆるぼったくりタクシーというヤツです。

この様な行為に対して1712年、1802年など、幕府は各宿場に対して何度も御触れを出して旅人に対する理不尽な行為を禁じました。

幕府が禁じても、ぼったくりタクシーは減らなかったようで、この事態に対して幕府は御触れを出して直接的な手段に訴えました。簡単に言えば、酒代を要求した者に罰を与えるといった、犯罪行為を名指しした、ピンポイントな内容で、現代の日本にぼったくりタクシーが無い事実を見ると幕府側に軍配が上がったように思えます。

■スリや詐欺、迷惑オバチャンに飯盛女

ぼったくりタクシーと並んで多かった犯罪行為は、護摩の灰と呼ばれるスリや置き引き、詐欺といったものでした。宿場ですから、大部屋では宿泊客の寝ている間にコッソリ枕元に置いてある金品を盗み取る枕探しという犯罪行為も多発していたようです。

出た飯盛女!江戸時代の旅は犯罪、違法、迷惑行為となんでもあり。江戸時代の旅行事情【4】


歌川広重「東海道五十三次之内 赤坂」

その他にも現代で考えれば違法に当たる、留女(という)迷惑行為もありました。
強引な客引き行為で、文字通り客の腕を引っ張って強引に宿に引きずり込むオバチャンたちです。


旅籠などの宿泊施設ではで遊女を雇い入れる行為は法律で禁じられていました。しかし、前回説明した運送業などの公共事業が宿場の経済を圧迫して宿の経営はとても厳しいものだったようです。

宿場の運送会社 問屋場の親会社はブラック企業!? 江戸時代の旅行事情【3】

そこで登場したのが「飯盛女」です。

「飯盛女」という隠語を使い、書類の上では配膳などの仕事をさせる事になっていますが、その実態は遊女そのものでした。幕府はその事実を知っていましたが、宿場が潰れると被害が飛び火するため見て見ぬフリをしていました。

見て見ぬ振りどころか、1740年に「飯盛り女は一つの宿で2人まで」という御触れまで出しているところを見ると、ある意味では暗黙の了解として公認されていたという事になります。

しかし、このような御触れが出されても、守られることは無く品川の宿場で「飯盛女」の取り締まりが実施された時には1300人以上が捕らわれたという記録も残っています。

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