平忠度/右田年英画(明治時代)
平忠度(たいらのただのり)は、平忠盛の六男。清盛の異母弟にあたります。
平家一門の人間ですから、武士として活躍したことは想像に難くありませんが、意外なことに和歌を愛する文化人でもありました。大河ドラマ「平清盛」でも、ムロツヨシ演じる忠度が地方出身の田舎くさい出で立ちながら和歌の才能があったことが描かれていました。
■都落ちの際、藤原俊成に歌を託す
有名な話をひとつ紹介します。
平家一門があわただしく西へ西へと逃げる中、忠度は従者数人を引き連れて一度京へ戻り、自身の和歌を書き連ねた巻物をもって藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)を訪ねました。俊成とは、「千載和歌集」の撰者もつとめた歌人です。「百人一首」を選んだ藤原定家(ふじわらのていか/さだいえ)の父としても知られています。
忠度はその歌人・俊成の弟子でもあったのです。
そのときの出来事は「平家物語」巻七「忠度都落」の段に見られます。
「落人が帰ってきた」と家中がざわつくなか、俊成に対して忠度は一門の命運が尽きたことを述べ、こう言います。
「(前略)撰集のあるべき由承り候ひしかば、生涯の面目に一首なりとも、御恩をかうぶらうど存じて候ひしに、やがて世の乱いできて、其沙汰なく候条、ただ一身の歎と存ずる候。世しづまり候ひなば、勅撰の御沙汰候はんずらむ。平家一門はもはやこれまで、自分も明日も知れぬ身でありながら、忠度は「世が治まって勅撰集編纂の沙汰があれば、自分の歌を一首でも勅撰集に加えてくれませんか」と師匠に頼みに来たのです。是に候巻物のうちにさりぬべきもの候はば、一首なりとも御恩を蒙ッて、草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御まもりでこそ候はんずれ」
「平家物語」(校注・訳:市古貞次「新編日本古典文学全集」/小学館より)
俊成は、忘れ形見をいただいた以上は決していい加減には扱わないといい、涙ながらに忠度を見送りました。
■「千載和歌集」へ入集
そののち、俊成は「千載集」の選者として忠度の和歌を一首選んでいます。忠度が持ってきた巻物の中には他にたくさん勅撰集に入れてもいい和歌があったといいますが、忠度は勅勘を被った人物です。俊成は作者の名を明らかにはせず、「読人知らず」として和歌をいれました。
その歌は、「故郷花」という題で詠まれた
さざなみや志賀の都はあれにしをむかしながらの山ざくらかなという歌でした。
「平家物語」(校注・訳:市古貞次「新編日本古典文学全集」/小学館より)
■その後いくつかの勅撰集に忠度の和歌が入集
「千載集」に和歌がとられたのは、決して俊成が忠度に同情したから、というだけではありません。忠度は確かに和歌の才能がある人だったのです。「千載集」以降も十首以上の和歌が勅撰集に入集しているのです。
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