
■七夕のモデルは乞巧奠(きこうでん)…て、そもそも何?
七夕の元となったお祭りが日本で行われるようになったのは、奈良時代にさかのぼります。この頃の日本は、中国の唐から様々な文物や制度を導入しており、それと共に乞巧奠と言うお祭りが伝わって来ました。
これは庭先の祭壇に針などを捧げ、織女星(織姫)のように機織りやお裁縫が上達することを祈る儀式であり、後には芸事の発展を祈るものにもなります。一方、古代の日本には機織りをして神様に布や衣類を献ずる若い乙女を棚織津女(たなばたつめ)と呼んで尊ぶ風習がありました。
この棚織津女は清い水が流れる川辺などで機織りをしており、中国から渡来した牽牛(彦星)と織女の伝説にも近いものがあります。これらの伝承が混ざり合い、七夕のお祭りになった(※1)とも言われています。
(※1)七夕とかいて「タナバタ」と読む当て字もそうした背景で生まれたと言う説あり
■素朴な祭りだった七夕は、平安京で優雅な儀式に変わっていった

古代中国で生まれた七夕は、元をただせば針仕事を始めとした芸の上達を願う、素朴さが持ち味のお祭りでした。それを優雅でロマンチックな夜を過ごす行事にアレンジしたのが、平安時代の貴族達です。