日本の夏は高温多湿なことで知られていますが、中でも食欲が落ちてしまうのは困りますね。そんな時に有り難いのが、簡単に食べられる麺料理です。
■茹でたの?それとも揚げたの?日本最初の麺は謎だらけ
米や雑穀を粒のまま食べるのを好んだ日本人が麺を口にしたのは、粉食が普及していた大陸諸国との交易が活発化した奈良時代から平安初期にかけてでした。この頃に入って来た麺は索餅(サクベイないしはムギナワ)と呼ばれる、うどんのような食品です。
この索餅は当時の文献にも載るくらいに有名でしたが正体は諸説があり、茹でて食したとも、縄状にした小麦粉の生地を揚げたお菓子であったとも言われます。食べ方としては生姜やミョウガを添えて二杯酢のような調味料で和えたとも、胡麻油や糖、塩などを加えたりと、まるで現代のまぜそばか冷やし中華を思わせる食べ方もあったそうです。
また、名前通りに小豆を添えて餅のように食べる、甘いデザートのようなレシピもあったとされ、平安時代の麺類は初期段階でありながら、非常に豊富なレパートリーがありました。
■食べれば病魔退散?行事食で保存食だった麺料理
平安時代、食文化の最先端を担っていたのは貴族と寺社でした。前者は富と権力、後者は仏教を通して大陸文化を学んでいたため、自然と麺を生活の中に取り込む下地があったのです。こうした人々による麺料理は異国文化を楽しむ一面もありましたが、迷信深い時代と言うこともあり、様々な行事の際に麺を食していました。
中でも有名なのは七夕の日に麺を食べると言うもので、“七月七日に麺を食べるとマラリアに感染しなくなる”と記された古代中国由来の伝説に基づいていました。今も七夕様の日には素麺を食べる方も多いですが、それは当時の宮中文化から来ているのです。
もちろん、麺は保存性に優れると言う実用的な面にも注目されており、稲の端境期に保存しておくべき食べ物としても重要視されます。しかし、まだ庶民の味と言うまでには程遠く、行事食として寺院や神社で用いられるに留まっていました。
■高級品の麺はお供えの定番で薬としても扱われた…でも、独り占めすれば祟られる?
最後に、平安時代の文学書である『今昔物語』から麺にまつわる逸話を紹介しましょう。ある寺の僧侶が麦縄(麺)を手に入れ、客人に振る舞ってもまだ残っていたのにも関わらず、『古い麦は薬になるからナ』と人に与えることもせず、隠してしまうと言う説話が収録されています。
なお、その意地悪な坊さんが麺を一年後に取り出すと蛇になっていたが、他人には食べ物にしか見えなかったと言うオチがつきます。つまり、寺に上納されたもの(つまり仏様へのお供え)を、勝手に奪うのは良くないことだよ…と戒める話です。
一方でこの説話は、麺に使われる麦が薬の一種として扱われたこと、寺社に納められるお供えとしても麺が使われていたことを示す、貴重な資料でもあります。このようにして、当初は異国の珍味や薬、或いは宗教色がやや強めの食べ物として、麺類は日本に伝来しました。庶民の味として世界的に知られる麺料理は、近世以降となるのですが、それはまたの機会にお話いたします。
参考文献:「日本人は何を食べてきたのか」永山久男
トップ画像:酒飯論絵巻
それは、日本独特の文化が栄え始めた平安期も同じでした。本項では、それを紹介していきます。
■茹でたの?それとも揚げたの?日本最初の麺は謎だらけ
米や雑穀を粒のまま食べるのを好んだ日本人が麺を口にしたのは、粉食が普及していた大陸諸国との交易が活発化した奈良時代から平安初期にかけてでした。この頃に入って来た麺は索餅(サクベイないしはムギナワ)と呼ばれる、うどんのような食品です。
この索餅は当時の文献にも載るくらいに有名でしたが正体は諸説があり、茹でて食したとも、縄状にした小麦粉の生地を揚げたお菓子であったとも言われます。食べ方としては生姜やミョウガを添えて二杯酢のような調味料で和えたとも、胡麻油や糖、塩などを加えたりと、まるで現代のまぜそばか冷やし中華を思わせる食べ方もあったそうです。
また、名前通りに小豆を添えて餅のように食べる、甘いデザートのようなレシピもあったとされ、平安時代の麺類は初期段階でありながら、非常に豊富なレパートリーがありました。
■食べれば病魔退散?行事食で保存食だった麺料理

平安時代、食文化の最先端を担っていたのは貴族と寺社でした。前者は富と権力、後者は仏教を通して大陸文化を学んでいたため、自然と麺を生活の中に取り込む下地があったのです。こうした人々による麺料理は異国文化を楽しむ一面もありましたが、迷信深い時代と言うこともあり、様々な行事の際に麺を食していました。
中でも有名なのは七夕の日に麺を食べると言うもので、“七月七日に麺を食べるとマラリアに感染しなくなる”と記された古代中国由来の伝説に基づいていました。今も七夕様の日には素麺を食べる方も多いですが、それは当時の宮中文化から来ているのです。
もちろん、麺は保存性に優れると言う実用的な面にも注目されており、稲の端境期に保存しておくべき食べ物としても重要視されます。しかし、まだ庶民の味と言うまでには程遠く、行事食として寺院や神社で用いられるに留まっていました。
■高級品の麺はお供えの定番で薬としても扱われた…でも、独り占めすれば祟られる?

最後に、平安時代の文学書である『今昔物語』から麺にまつわる逸話を紹介しましょう。ある寺の僧侶が麦縄(麺)を手に入れ、客人に振る舞ってもまだ残っていたのにも関わらず、『古い麦は薬になるからナ』と人に与えることもせず、隠してしまうと言う説話が収録されています。
なお、その意地悪な坊さんが麺を一年後に取り出すと蛇になっていたが、他人には食べ物にしか見えなかったと言うオチがつきます。つまり、寺に上納されたもの(つまり仏様へのお供え)を、勝手に奪うのは良くないことだよ…と戒める話です。
一方でこの説話は、麺に使われる麦が薬の一種として扱われたこと、寺社に納められるお供えとしても麺が使われていたことを示す、貴重な資料でもあります。このようにして、当初は異国の珍味や薬、或いは宗教色がやや強めの食べ物として、麺類は日本に伝来しました。庶民の味として世界的に知られる麺料理は、近世以降となるのですが、それはまたの機会にお話いたします。
参考文献:「日本人は何を食べてきたのか」永山久男
トップ画像:酒飯論絵巻
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
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