■それいけ、ひばり号!かつて渋谷にはケーブルカーが設置されていた
昭和26年(1951年)、渋谷の東横百貨店(既に解体された東急東横店 旧東館)の屋上と玉電ビル(東急東横店 西館)の屋上を結ぶかたちで、ケーブルカーが設置され、運転がスタートしました。
ビルとビルを移動するためにケーブルカーが設置されたわけですが、実はこれは遊覧を楽しむ一種のアトラクションとして設置されたもので、ケーブルカーに乗車できるのは子供のみで、定員は12名までとなっていました。
ケーブルカーの正式名称は「ひばり号」。ケーブルカーのサイドには”ひばり号”とかかれ、ボディのフォルムは実にレトロで可愛らしい形をしていました。当時のひばり号の写真がこちら。
とっても可愛らしい♪
当時は「空中ケーブルカー」というネーミングで運行していましたが、ロープウェイといったほうがしっくりきますね。ロープウェイは山に沿って設置されているイメージがあるので、写真の背景に渋谷の街並みが写り込んでいるのがとても不思議な感覚。

出典:dream
これが当時の「空中ケーブルカー乗車券」。子ども一人10円と書かれています。
ひばり号のコースは、東横百貨店(7階建て)を出発し、75m先の玉電ビル(4階建て)を折り返してまた東横百貨店に戻る1往復コースで、玉電ビルへは降りられませんでした。
現在の渋谷に重ねるとこのようなコース。

高層ビルが建ち並ぶ渋谷で、7階建てと4階建てのビル間をケーブルカーで遊覧しても、眺めは悪かろうに…と疑問に思う人もいるかと思いますが、そこはご心配なく。
ひばり号が実際に動いている貴重な映像がありましたので紹介します。テレビまたは映画のワンシーンとして利用されたもののようです。
■ひばり号、運行開始から2年で廃止、撤去へ
ひばり号の人気のほどは上々だったようで、連日乗車待ちの列ができていたそうです。そんなひばり号ですが、昭和28年(1953年)、折り返し地点の玉電ビルの大増築工事にともなって、わずか2年で廃止・撤去されてしまいました。
2年で廃止されたと聞くと、玉電ビルの大増築工事がよほど急遽決定したように思えるわけですが、この増築工事は前々から決定していたことだったようです。昭和29年(1954年)に玉電ビルの増築工事は終了し、当時としては日本一高い11階建てのビルに生まれ変わりました。
現在の渋谷の姿を知っている我々からすると、あそこにケーブルカーが設置されていたことが信じられませんが、当時の感覚からしても相当驚かれたことでしょう。現在ではケーブルカーの痕跡を見ることはできませんが、渋谷に行ったらビルを見上げてイメージしてみてはいかがでしょうか。
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