以前Japaaanで紹介された小伝馬町牢屋敷の記事で、牢内には序列があり「牢名主」が取り仕切っていたことがわかりました。

囚人が囚人を始末!?江戸時代、伝馬町牢屋敷の牢獄内が怖すぎる

今回は、牢内で行われていた私刑(リンチ)の様子を、文久3年(1863年)に政治犯として収容された落合直言という志士の手記『獄中罪科』から紹介します。


リンチは、牢名主へのツル(お金)が少ないとき、反抗的な態度を取ったとき、喧嘩をしたとき、「きる、とぶ、はねる、おつる」などの禁句(首を切る、首が飛ぶ、首を刎る、首が落ちるに通ずるため)を言った者などに行われました。

その他、牢名主の気分を害すれば、命令一つでリンチが待ち受けていました。

背割り、梅鉢、半ビラ…冤罪も多かった江戸時代の牢屋での壮絶な...の画像はこちら >>


↑右上では新人が痛めつけられ、左上には牢名主が座しています

・背割り…背中を思い切り肘鉄されます。正座させられ、両肩を押さえられての肘鉄なので、背骨を損傷する者もいたとか。

・梅鉢…お椀を五つ梅の花の形に並べ、裸でその上に正座させられます。お椀のふちが向こう脛にくいこみ、じわじわと痛みが増していきます。牢名主が「もうよい」と言うまで、下りてはいけませんでした。

・不動…牢内の端っこで、裸にされ片手に水の入った椀、片手に箒を持って力立不動の姿勢で立ち続けさせられること。立ち姿が不動明王の仏像のように見えることからこの名がついたのでしょうか。
少しでも水をこぼすと、さらにリンチが加えられたそうです。

・半ビラ…板きれで50回ほど打ち付けられます。下手すると死に直結しそうなわかりやすい暴力です。


・鉄砲…正座させられ片腕を肩の上から背中に回し、もう一方は脇から背中に回して、大指と大指と合わせ、その間にお椀を挟んで支えます。

名前の由来は、鉄砲を背負ったように見えるからでしょうか。体の硬い人にとっては届くかどうかもわからず、届いたとしてもその姿勢のまま長時間経つと腕も足も痺れ、呼吸もままならないほど筋肉が痙攣することもあるでしょう。

勿論、牢名主の許可が下りるまでそのまま耐え続けなければなりませんでした。

・鶴の餌拾い…恐ろしいことに、どのようなリンチなのかが詳しく書いてはありません。牢名主の指揮に従わなかったり、牢法を犯したり、禁詞を唱えた者に行われたようです。

背割り、梅鉢、半ビラ…冤罪も多かった江戸時代の牢屋での壮絶なリンチ


↑左下、「牢内暗殺」と書かれています

・暗殺…牢内が飽和状態になると、夜半にこっそり間引きが行われました。ツルが少ない者、反抗的な者、病気の者などが選ばれたようです。牢役人には「病死した」とだけ伝えました。役人も詮索はしなかったそうです。

これらの私刑は役人も見て見ぬふり、牢内の自治は完全に囚人たちに委ねられていたというから恐ろしい話です。江戸時代は冤罪も多かったといいますから、無実の罪で獄死した方もいたかと思うと、いたたまれませんね。


※図引用:『徳川幕府刑事図譜』、参考文献:『図説 日本拷問刑罰史』

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