江戸時代、大奥で働くことは女性のあこがれのひとつ。女中になり将軍の目にとまってお手付きとなると、一気に出世コース!将軍の子供を産むと御原様となり、さらにその子供が将軍になると御生母様になります。


その華やかな出世コースを掴めるのは、ほんのひと握りの女性だけでしたが、30年以上勤めて隠居した者は住居もきちんと与えられ老後の生活が保障されていたので、大奥で働きたい!と思う女性は多かったのです。毎年奥女中を採用していましたが、最下位の階級でも採用されるのは10人程度。

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千代田之大奥 より

■新人たちが素っ裸で踊る?「新参舞い」

晴れて奥女中になれた彼女たちを待ち受けているのは、「新参舞い」という行事でした。これは、毎年正月節分の夜に大奥内で催される行事で、なんと先輩の女中たちの前で、新人たちが素っ裸で踊るというもの。できたら避けたいですが、そうもいきません。

当日の夕食後、新人たちは羞恥心をかなぐり捨てて、衣服を脱ぎ捨て素っ裸になります。木綿の腰巻を付けて、手ぬぐいをかぶり、その上にざるをかぶる者もいたようです。そして板の間に入り、音頭に合わせて踊るのです。

先輩たちが余興をしてくれて、大盛り上がり!それにしても、なんともすごい光景ですね…。きっと、この行事を終えた新人たちは、ひときわ心も逞しくなったことでしょう。

さて、大奥の階級ですが、大きく分けて御目見え以下のノンキャリア組と御目見え以上のキャリア組に分けられていました。

素っ裸で踊る行事も?出世を目指せ!大奥では女中になってからが大変


徳川家累代御台所ノ図 楊洲周延 画

■ノンキャリア組

御目見え以下は、掃除や水汲みなどの雑用を行う御半下、広敷役人との取次役の御使番、御台所の湯茶の御用を務める御茶之間、各部屋の火の元を確認する火之番、食事の御用をとりしきる御仲居、御目見え以上の部屋の掃除や雑用を行う御三之間がありました。


この御三之間が、ノンキャリア組のトップです。

■キャリア組

そして、御目見え以上は、将軍・御台所のお召し物を裁縫する呉服之間、将軍付きの雑用係の御伽坊主、面会者を確認する御切手書、道具の持ち運びを行う御次、書記役の御右筆、外交係の御表使、中奥と大奥の境にある詰所で勤番する御錠口、御台所に仕える小間使いの御小姓、将軍と御台所の世話をする御中臈、御台所付きの御年寄の代理である中年寄、御三家などからの女使の接待をする御客応答、実質的なトップの御年寄、最高位の上臈御年寄と、実に細かく階級が分かれていたのです。

暮らすところも御目見え以上になると、部屋も広々!部屋数も多かったとか。御目見え以下のノンキャリア組は、キャリア組になるのを夢見て、そしていつしか、将軍の目にとまりますようにと期待を抱きながら、大奥での日々を過ごしていたのかもしれませんね。

参考文献:「大奥のおきて」「大江戸暮らし」

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