江戸時代になっても、大坂は「天下の台所」と呼ばれ、流通の主要地でした。江戸と大坂は、商売にしろ食にしろ様々な違いがあったようですが、まずは人口から見てみましょう。


■江戸は約半分が武士

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歌川広重 東海道五十三次之内 日本橋 曙旅立の図

江戸の人口は100万、そのうち約半分が武士でした。一方、大坂は人口31万4000人(安政5年)のうち、武家は2000人以下と、かなり武士が少なかったのですね。この武士の数が、江戸と大坂の大きな違いといえるでしょう。

■江戸にしかなかった商売?

商売相手も、江戸と大坂では違います。江戸の商売相手は、幕府や武家。武家とのコネクションが何より大事で、御用商人になるためには、気に入ってもらえるように様々な仕事をこなす必要がありました。大坂の商売相手は、町人です。無駄のない合理的な商売が一番!

「べらぼうめ!」は大阪発祥?江戸時代の江戸と大坂の商売や食事情の違いに注目!


浪花名所之内 九軒之図

そうそう、江戸にしかなかった商売って何かご存知ですか?それは、献残屋(けんざんや)です。贈答品が多く出回るため、不用品も多く出てしまうんですね。その不用品を買い取って転売するのが献残屋だったのです。

あと、酒問屋(さかどいや)も、江戸ならでは。大坂では、贈答品を贈る習慣もないし、酒の生産地が近いから、酒造元が直接販売店に卸していたのです。
だから、献残屋も酒問屋も必要なかったのですね。

■江戸と大坂で大きく異なる食事情

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喜多川歌麿「深川の雪」

食事情も、江戸と大坂では大きく異なります。鰻の調理方法も、江戸では白焼きを蒸してから焼くので、身がふっくらと柔らかく!せっかちな江戸っ子にとっては、前もって蒸しておくことで焼き時間も短縮できるのですね。

大坂は、たれにつけて焼くだけと、いたってシンプル。会席料理も、濃い味付けにして、折詰で持ち帰れるようにするのが江戸流。汁気が多く温かなものが多くその場で食べきってしまうのが大坂流。

■大坂発祥なのに江戸で定着した言葉

江戸と大坂は様々な違いがあるのはご存知の通り。実は、大坂発祥なのに江戸で定着した言葉もあるのです。それは、「べらぼうめ」という言葉。

当時、大坂の道頓堀にある見世物小屋にあった芝居「べらぼう」が起源という説があります。この見世物から「ばか」「たわけ」という意味になったのですが、大坂では定着せず、江戸ことばとして定着したのですね。

江戸と大坂、文化は違えど、美味しいものが大好きなのは同じ。
そして、たくましく生きる姿も同じ。きっと、江戸と大坂、互いに刺激し合っていたのでしょう。

参考文献:江戸諸国萬案内、知って合点 江戸ことば

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