「高楊枝」とは、「食後にゆうゆうとつまようじを使うこと」を指し、かつて武士は、たとえ生活が貧しくて食事を満足に出来ない状況にあったとしても、満腹を装って楊枝を咥えてみせるべきだとされていました。
そのことから、「やせ我慢して見栄を張っている」という皮肉の意味としてしばしば使われています。
ところが、実はこの言葉にはもっと深い意味が隠されているのです。
江戸時代の武士の多くは、今でいう政府や役所の役人だったのです。彼らの多くは私利私欲に走ることなく世の中のため、国家のために働いていたのです。特に、江戸時代も後半になってくると、武士より商人のほうが経済的には裕福だった時期もでてきます。
そんな時代でも為政者としての武士の倫理規範は、無私の奉仕、誠実な生き様を示したのです。
「武士は食わねど高楊枝」という言葉は、「貧しい環境であったとしても、表にはそれを出さずに気品高く生きていくべきである」という武士の美徳を表しています。確かに、そのような生き方は見栄っ張りに見えないこともありません。
しかし、当時の価値観で改めて見直してみると、この言葉は貧しくても気品高くいることを大切にした価値観が存在していたということがわかると思います。
「やせ我慢して見栄を張っている」という皮肉のような意味でつかわれるようになったのは、外面的にプライドを保つという行為を馬鹿にするような世の中の風潮になったからと考えることができるかもしれません。
現在、武士も存在しませんし、彼らの行動規範にあった武士道を実践することも求められていません。
けれども、かつての日本人が大切にしていた倫理観・価値観の一部を表す言葉として、この言葉を外国や後世に伝えていくことが大切ではないでしょうか。
ちなみに、「武士は食わねど高楊枝」を英語でいうと、”A samurai uses a toothpick even when they don’t have anything to eat.”となりますが、意味を補足する言葉として、”He never shows his weakness even when the situation is difficult.”と説明しておくとよいでしょう。
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