で、一体なんのさいちゅうなの?
実は、中秋の名月に関係がありました。
■一遍の和歌から
「池の面に 照る月なみを 数ふれば 今宵ぞ秋の もなかなりける」
平安時代、月見の宴の最中に源順(みなもとのしたごう)という歌人が詠んだもので、意味は「小波が立つ池の水面に照り映っている月を見て、月日を数えて見れば、今宵は秋の最中の八月十五夜であった」
と見事な月に感慨にふけってるんですね。
「つきなみ」とは「月浪(波の立つ池に映る月)と、「月次(一二か月の順序。月の移り変わり)」の二重の意味を掛けています。秋の最中は秋の真ん中、すなわち陰暦の八月十五夜のことです。
その詠み会に供されていたのが、丸型で薄い餅菓子で、源順が詠んだ歌をもとに、公家たちが「最中の月」と呼ぶようになったということです。
ちなみに源順は学者で『万葉集』の訓点作業と『後撰和歌集』の撰集作業に参加した人です。
■商業化されたのは江戸時代
時代は下がり、江戸時代。江戸新吉原の廓内にあった菓子屋竹村伊勢が、平安時代のその餅菓子になぞらえて「最中の月」をという菓子を売り出しました。
遊女も喜ぶ名物「最中の月」が人気、江戸吉原スイーツの名店「竹村伊勢」
その原型は実ははっきりとされていません。もち粉に水を入れこねて蒸し、薄く円形に切りそろえたものを焼いて、砂糖をかけた干菓子だとも、餡ころ餅のようなものだったともいわれています。
そして最中の月から、次第に「月」がとれてただの「最中」という名前に定着していきました。ちなみに最中は丸かったので、四角い最中は「月見の窓」と呼ばれていました。

「江戸商売絵字引」より
日本橋では餡を挟んだ最中饅頭が販売。
更に時代が下がり明治には金型が普及し、餡を包む皮に意匠がほどこされ、俵型や梅型や短冊型、店の名前が象られた皮など様々に発展していきます。

「江戸買物独案内」より
いかがでしょう。まとめると最中は「十五夜」のことだったんですね。
中秋の名月はすぎてしまいしたが、次の十五夜にはお菓子の最中で月を愛でてみてはいかがでしょう。その時は是非、まぁるい最中で。
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