葬儀の際に、死者の霊前に供えるお金のことを「香典(こうでん)」と呼びます。

現在、香典の平均的な相場として、友人なら5000円から1万円、とくに親しい間柄なら3万円ほど包むのが一般的なようです。
地域によっては、自分の親戚の葬儀の際にいただいた同額を返すというしきたりもあります。

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日本文化にすっかり定着した習慣ですが、香典とはそもそもお金を贈る習慣ではありませんでした。「香典」は、かつて「香奠」と表記していました。「奠」とはお供え物のことを指し、香を仏様に捧げるという意味の言葉でした。

この言葉がさすように、お香を花や灯りとともに供えて死者を慰めることが香典でした。ところが、昔、香は高級品で、一般庶民にはなかなか手に入る代物ではありませんでした。そこで、遺族や近所の人々がお香の代わりに米や野菜などを持ち寄ってお供えをしたのがそもそもの起源でした。

香典はお供えでもあり、死者を慰霊するものでもあり、また喪家の負担を集落や親族で軽減しようという共同体の結束のあらわれでもありました。

九州や鳥取などでは、米や麦を一俵(約60キロ)丸ごと贈る、「一俵香典」なんていう豪快な風習があり、これは一部では現存しているようです。

東北地方ではかつて香典として赤飯を持ち寄っていました。新潟県の佐渡島では出棺前に「力飯」と呼ばれる赤飯を参列者一人ひとりが一本の箸で食べる習慣がいまでもあります。福井県でも赤飯の握り飯が出されます。


葬儀のときに供える「香典」はもともとはお金ではなかった?昔は何を供えていたの?


かつては「香典」としてふるまわれた赤飯

赤飯は祝いの席のイメージが強いですが、葬儀にも用いられていました。赤飯の赤い色は魔除けの色であり、邪気を祓って災いを避ける力があると考えられていたためです。

墓場で墓穴を掘る人は、とりわけ強い忌み穢れを受けるため、必ず赤飯が出されたといいます。かつては日本全国に葬儀に赤飯を出す風習があったのですが、「忌み」や「穢れ」に対する概念が変化していくにつれて廃れていったようです。

また赤飯でなくても、小豆を使った小豆飯や飴入りの団子、饅頭を出す地域もあります。

やがて香典そのものも明治時代から戦後にかけて、米や野菜から金銭に変わっていき、現代のような形になっていったと考えられます。

ちなみに、「香典」と書いて現金を渡すのは仏式の葬式だけ。死者の霊に香や香典を供えない神式やキリスト教式の葬式では、「香典」という言葉は使いません。神式なら「御霊前」「御玉串」、キリスト教なら「御花代」となるので注意が必要です。

香典

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